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大阪地方裁判所 昭和29年(行)79号 判決

原告 孫斗八

被告 大阪拘置所長

主文

一、被告が、原告の発した昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信の発信を止めた処分(請求趣旨一、(一)のうち)は無効であることを確認する。

二、被告が、昭和三〇年一月一三日国際新聞の購読を、昭和三二年一〇月一一日朝日新聞の購読を禁止した処分(請求趣旨一三(一))はいずれも無効であることを確認する。

三、被告は、原告の発する通信文の内容が、第一、(1)罪証隠滅に関する場合、(2)逃走に関する場合、(3)刑法に抵触する場合、第二、受信者に伝達されることによつて、大阪拘置所における拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合のほかは、これに抹消を加えてはならぬ義務があることを確認する(請求趣旨二(三)の一部認容)。

四、被告は、原告の受ける通信文の内容が、第一(1)罪証隠滅に関する場合、(2)逃走に関する場合、(3)刑法に抵触する場合、第二原告に伝達されることによつて、大阪拘置所における拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合のほかは、これに抹消を加えてはならぬ義務があることを確認する(請求趣旨三(三)の一部認容)。

五、被告は、新聞、文書および図画が、第一(1)罪証隠滅に関する場合、(2)逃走に関する場合、(3)刑法に抵触する場合、第二原告に閲読されることによつて、大阪拘置所における拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合のほかは、抹消もしくは削除の制限を加えることなく、その閲読を許可しなければならぬ義務があることを確認する(請求趣旨一二(三)の一部認容)。

六、本訴のうち、請求趣旨一(被告が原告の発した昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信の発信を止めた処分を除く)ないし八の各(一)(二)の被告の処分、請求趣旨一二(一)(二)のうち被告が原告に対し「朝日新聞」(昭和二八年一〇月一三日付から昭和二九年四月三〇日付まで、および昭和三二年一二月一日付から同月一〇日付まで)、「週刊朝日」(昭和三〇年一月三〇日号)、「サンデー毎日」(昭和三三年一月五日号)、「週刊サンケイ」(昭和三〇年五月一日号)、「週刊新潮」(昭和三二年一一月一八日号)、「中央公論」(昭和三〇年一月号)、「世界」(昭和三〇年九月号)、「平和」(昭和二九年三月号)、「新しい世界」(昭和二八年一月号)、「朝鮮」(人民朝鮮社外国文出版社版、一九五七年三月号)および「死刑」(平野竜一著、日本評論社版)を抹消もしくは削除した処分、請求趣旨一四、一八ないし二〇、二三、二六、三二、三四、三六の各(一)(二)の被告の処分について無効確認および取消を求める部分、請求趣旨一、四、五、七、八、一九、二二、二四ないし二七、三二ないし三七の各(三)の義務確認を求める部分および作為ないし不作為を求める部分(請求趣旨各(四)項、たゞし請求趣旨二〇、二一を除く、請求趣旨六、一〇、一三ないし一六、一八、二三、二八ないし三一は各(三)項)は、いずれも却下する。

七、本訴のうち、請求趣旨九、一〇、一一の各(一)(二)、請求趣旨一二(一)(二)のうち被告が原告に対し昭和三〇年二月一九日「絞首台からの叫び」(秋山正夫著、正旗社版)および昭和三二年八月二一日「死と壁」(玉井策郎著創元社版)の閲読を禁止した処分、請求趣旨一五ないし一七、二一および二二、二四、二五、二七ないし三一、三三、三五、三七の各(一)(二)の被告の処分について無効確認および取消を求める部分、請求趣旨九、一一、一七の各(三)の義務確認を求める部分ならびに請求趣旨二(三)、三(三)、一二(三)の各義務確認を求める部分のうちそれぞれ主文三ないし五項で認容した部分を除いたその余の部分は、いずれも棄却する。

八、訴訟費用はこれを四分し、その三を原告、その余を被告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

一、(一) 被告が原告の発した、昭和二八年五月七日付国際新聞社宛通信、同月九日付人権擁護局宛通信、同日付大阪自由人権協会宛通信、昭和二九年四月一二日付戒能通孝宛通信、同月二六日付戒能通孝宛通信、同年五月四日付清水幾太郎宛通信、同年六月一一日付戒能通孝宛通信、昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信、同年七月一九日付盧承達宛通信、同日付崔南植宛通信および同日付閔載寔宛通信の発信を止めた処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発する通信を発送しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告の発する通信を止めてはならない。

二、(一) 被告が原告の発した、昭和三〇年一月一三日付小林勝宛通信、同日付国際新聞社宛通信、同年二月七日付盧承達宛通信、同月一七日付朝日新聞社大阪本社宛通信、同年七月一九日付盧承達宛通信、同日付崔南植宛通信、同日付閔載寔宛通信、同年八月二四日付楊柱錫宛通信、同年一二月二三日付閔載寔宛通信、昭和三一年二月一〇日付黒岩利夫宛通信、同年三月一〇日付加古藤一郎宛通信、同年五月七日付および昭和三二年七月一五日付黒岩利夫宛各通信を抹消した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発する通信で罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触する場合のほかはすべてそのまま発送しなければならぬ義務あることを確定する。

(四)被告は原告の発する通信に対し右のような抹消をしてはならない。

三、(一) 被告が原告の受信した、昭和三〇年二月一〇日付崔南植からの通信、同日付盧承達からの通信、同年五月八日付松上宜史からの通信、同月一六日付盧承達からの通信、同月三一日付楊柱錫からの通信、同年七月二九日付閔載寔からの通信、同年八月八日付盧承達からの通信、同月一二日付楊柱錫からの通信、同年一二月一九日付盧承達からの通信および昭和三一年六月二五日付、同年七月三日付、同年八月一日付、同年九月二日付楊柱錫からの各通信を抹消した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の受信する通信で罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触する場合のほかはすべてそのまま交付しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告の受信する通信に対し右のような抹消をしてはならない。

四、(一) 被告が原告の発した、昭和三〇年一一月二四日付前衛編集部宛通信の検閲に八二日間、同日付同部宛(昭和三一年二月一三日黒岩利夫に宛先変更)通信の検閲に九六日間、昭和三一年二月四日付陳秉玖宛(同月一〇日黒岩利夫に宛先変更)通信の検閲に四五日間、同月二〇日付黒岩利夫宛通信の検閲に三二日間、同年五月七日付同人宛通信の検閲に三二日間、同年一一月二〇日付正木ひろし宛通信の検閲に二九日間および同日付末川博宛通信の検閲に二九日間をそれぞれ要した処分および被告が原告の受信した昭和三〇年四月二〇日付盧承達からの通信の検閲に八日間を要した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発受する通信の検閲発送交付の手続を速かになす義務あることを確定する。

(四) 被告は原告の発受する信書の検閲発送交付の手続について、第一種、第二種郵便物につき二日以内になし、その他の郵便物もこれに準じて速かに処理しなければならない。

五、(一) 被告が原告の発した、昭和二九年四月一二日付戒能通孝宛通信を大阪矯正管区長に、同月一七日付戒能通孝宛通信を同管区長に、昭和三〇年九月一五日付閔載寔宛通信を斎藤周逸検事に、同年一一月二四日付前衛編集部宛(昭和三一年二月一三日黒岩利夫に宛先変更)通信、昭和三一年二月四日付陳秉玖宛(同月一〇日黒岩利夫に宛先変更)通信、同年一一月二〇日付正木ひろし宛通信および同日付末川博宛通信を大阪拘置所の上級官庁に、それぞれ示した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発受する通信の秘密を保持しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告の発受する通信で罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触する場合のほかは検察官もしくは右上級官庁に示してはならない。

六、(一) 被告が原告の発した、昭和二九年四月一七日付戒能通孝宛通信の一部「刑事被告人の声」および書簡、ならびに昭和三〇年一〇月二四日付立花正宛通信を隠匿もしくは廃棄した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発受する通信を隠匿もしくは廃棄してはならない。

七、(一) 被告が原告に対し昭和二九年五月一三日弁護人村本一男弁護士および昭和三〇年五月七日原田香留夫弁護士との交通を妨害した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触する場合のほかは弁護人もしくは弁護士との交通を保障しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し弁護人もしくは弁護士との交通を妨害してはならない。

八、(一) 被告が原告の発した昭和二九年九月一三日付服部光行検事宛「発信拒否に対する供述書」の送達を拒否した処分および昭和三一年九月一一日付斎藤周逸検事宛「審判請求書」を綴じかえた処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の発する裁判所、検察庁および行政官庁宛文書を発送しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告の発する裁判所、検察庁および行政官庁宛文書の受領もしくは発送を拒否したり、右文書に作為を加えてはならない。

九、(一) 被告が原告に対し、昭和二九年五月二九日原稿用紙の使用を禁止し、同年八月一三日ノートの使用を一冊に制限し、同月三一日美濃罫紙を訴訟用のほか使用を禁止し、同年九月三日ノートの使用を禁止し、同年一〇月七日便箋紙を直接通信用のほか使用を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触しない範囲で筆記用紙具の使用を保障しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し原稿用紙の使用を禁止したり、ノート、美濃罫紙、便箋紙の使用について右のような制限をしてはならない。

一〇、(一) 被告が原告に対し昭和二七年八月二九日万年筆の使用を禁止し、昭和二九年一月一一日赤色インキ、赤色鉛筆、消しゴム、スケールの使用を禁止し、同年一〇月一八日ノートの差入を禁止しおよび昭和三一年三月八日ペン先の使用を特別許可制にした処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し前項の筆記用具の使用を禁止してはならない。

一一、(一) 被告が原告に対し昭和二九年七月一五日監房内における書籍の所持を五冊に制限した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し訴訟もしくは学習に必要な書籍の所持を保障しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し監房内における書籍の所持を制限してはならない。

一二、(一) 被告が原告に対し「朝日新聞」(昭和二八年一〇月一三日付から昭和二九年四月三〇日付まで、および昭和三二年一二月一日付から同月一〇日付まで)、「週刊朝日」(昭和三〇年一月三〇日号)、「サンデー毎日」(昭和三三年一月五日号)「週刊サンケイ」(昭和三〇年五月一日号)、「週刊新潮」(昭和三二年一一月一八日号)、「中央公論」(昭和三〇年一月号)、「世界」(昭和三〇年九月号)、「平和」(昭和二九年三月号)、「新しい世界」(昭和二八年一月号)、「朝鮮」(人民朝鮮社外国文出版社版・一九五七年三月号)、および「死刑」(平野竜一著・日本評論社版)を抹消もしくは削除した処分ならびに昭和三〇年二月一九日「絞首台からの叫び」(秋山正夫著・正旗社版)および昭和三二年八月二一日「死と壁」(玉井策郎著・創元社版)の閲読を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し罪証隠滅、逃走もしくは刑法に抵触する場合のほかは文書図画の閲読を保障しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し右のような閲読制限をしてはならない。

一三、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年一月一三日国際新聞および昭和三二年一〇月一一日朝日新聞の購読を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し新聞紙の購読を禁止してはならない。

一四、(一) 被告が原告に対し昭和二八年七月一三日から二〇日間および昭和二九年六月一五日から一カ月間文書図画の閲読を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し文書図画の閲読を禁止してはならない。

一五、(一) 被告が原告に対し昭和二九年八月一三日監房内における記録ずみのノートの所持を四冊に制限した処分は無効なることを確定する。

(二)前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し監房内における記録ずみのノートの所持を制限してはならない。

一六、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年五月六日監房内における信書および公文書の所持を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し監房内における信書および公文書の所持を禁止してはならない。

一七、(一) 被告が原告に対し昭和二七年五月八日からラジオ放送の「ニユース」、「録音ニユース」、「今日の問題」、「街頭録音」「青空会議」、「時の動き」、「政治座談会」、「国会討論会」などの教養番組を聴取させない処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し右のラジオ放送番組を聴取させなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し右のラジオ放送番組を聴取させなければならない。

一八、(一) 被告が原告に対し昭和二九年一〇月二九日から一カ月間、昭和三〇年一〇月一日から一カ月間および同年一一月一日から一五日間ラジオ放送の聴取を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対しラジオ放送の聴取を禁止してはならない。

一九、(一) 被告が原告に対し昭和二九年九月二一日教誨師丸川静海による「宗教の時間」(説教)、昭和三〇年一月一〇日日本短波放送による「光を求めて」(信仰と宗教)、同月一五日参議院議員佐藤義詮による「仏教講演」、昭和三一年三月一三日教育課長竜田晶による「ひこばえの時間」(逆境と生還)、同年四月一九日教誨係長中沢了祐による「光を掲げた人々」(禅海と青の洞門)、同年六月一日保護課長関秀峰による「鏡の時間」(恩にきる)および同年八月一五日教誨堂における物故収容者追悼法要の実況放送を聴取させた処分はそれぞれ無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は大阪拘置所において宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は大阪拘置所において宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

二〇、(一) 被告が原告に対し昭和二七年七月三〇日教誨師(真宗本願寺派僧侶)吉川卓爾、昭和二九年五月二九日同(真宗大谷派僧侶)筧智行、昭和三〇年三月五日同(真宗本願寺派僧侶)丸川静海および昭和三一年一月二四日同(カソリツク教会神父)前田朴をして宗教活動もしくは宗教活動の便宜を与えた処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

二一、(一) 被告が原告に対し昭和二九年一〇月一四日保健食および特別菜の給与を停止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

二二、(一) 被告が原告に対し昭和二七年五月八日から法定の糧食を給与しない処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し憲法の規定する生存権を保障しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し法定の糧食を給与しなければならない。

二三、(一) 被告が原告に対し昭和二九年五月一〇日請願用紙、同年一二月七日タオル、化粧石鹸、洗濯石鹸、歯刷子、歯磨粉、塵紙、昭和三一年二月二日本件訴訟用紙および同年三月一三日請願用紙の給与を拒否した処分ならびに昭和三〇年四月二七日無料理髪を停止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し一カ月一回以上理髪をなし、タオル等日常必需品を適正に給与し、監獄の処遇に関する争訟用紙を給与しなければならない。

二四、(一) 被告が原告を昭和二八年五月一二日隔離厳正独居に付した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告を死刑囚もしくは刑事被告人と同等待遇しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告を隔離してはならない。

二五、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年九月一日死刑執行場前で運動することを命じた処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告を運動場で運動させなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告を運動場で運動させなければならない。

二六、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年五月二七日から就寝時刻(午後八時、同年九月一日から午後七時)以後起床時刻(午前六時三〇分、同年六月一日からは午前七時)以前に起きて訴訟準備もしくは学習することを禁止し、同年五月一一日就寝時間以外横になつて休息することを禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し訴訟準備もしくは学習を妨害してはならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し右のような禁止をしてはならない。

二七、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年六月二七日就寝時、頭を窓の方に置き足を扉の方にのばすよう命じた処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し監房内の就寝時における頭の位置を自由にさせなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し、就寝時頭の位置を指定してはならない。

二八、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年六月一三日監房内で上半身裸になること、水で身体を拭くこと、パンツ一枚の姿態になることならびに窓ガラス、視察口および食器口を開放することを禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し右のような禁止をしてはならない。

二九、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年一〇月一日監房の窓ガラスを金網に取りかえた処分および窓から外を見ることを禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告の居房を暗くしたり、窓から外を見ることを禁止してはならない。

三〇、(一) 被告が原告に対し昭和三一年二月一八日寝具を座蒲団がわりにすることを禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し一二月から三月まで就寝時間以外でも毛布を貸与しなければならない。

三一、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年九月一八日から大阪拘置所内を連れ歩くとき手錠をかける処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告が原告を監内で連れ歩くときは手錠をかけてはならない。

三二、(一) 被告が原告に対し昭和二九年一〇月二九日から一カ月間、昭和三〇年一〇月一日から一カ月間および同年一一月一日から一五日間運動、入浴、洗濯および理髪を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し運動、入浴、洗濯および理髪をさせなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し右のような禁止をしてはならない。

三三、(一) 被告が原告に対し昭和二九年一〇月二一日監房検査の立会を禁止した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三)被告は原告を監房検査に立ち会わせなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告を監房検査に立ち会わせなければならない。

三四、(一) 被告が原告に対し昭和二九年八月一一日面接を拒否し、昭和三一年四月九日質問の回答を拒否した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対する面接を拒否してはならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対する面接を拒否してはならない。

三五、(一) 被告が原告に対し昭和三〇年一月一四日教育課長および昭和三一年二月二日担当看守の氏名を教えることを拒否した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し職員の氏名を教えなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し職員の氏名を教えなければならない。

三六、(一) 被告が原告に対し昭和二七年五月八日から物品の営利販売をなした処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は大阪拘置所において物品の営利販売をしてはならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は大阪拘置所において物品の営利販売をしてはならない。

三七、(一) 被告が原告に対し昭和三二年八月一六日死刑執行の予告を拒否した処分は無効なることを確定する。

(二) 前項の処分はこれを取り消す。

(三) 被告は原告に対し死刑執行を予告しなければならぬ義務あることを確定する。

(四) 被告は原告に対し死刑執行の二四時間前に執行を予告しなければならない。

三八、訴訟費用は被告の負担とする。

原告は右のとおりの判決を求めた。たゞし以上の各(二)は各(一)の請求が容れられない場合の予備的請求の趣旨である。

第二、請求原因

一、原告は、強盗致死被告事件の被告人として勾留され、昭和二六年一二月一九日神戸地方裁判所で死刑の判決を受けて大阪高等裁判所に控訴し、昭和二七年五月八日以来大阪拘置所に拘禁され、昭和三〇年二月一九日大阪高等裁判所で控訴棄却の判決、同年一二月一六日最高裁判所で上告棄却の判決を受け、その後は死刑の言渡しを受けた者として、引き続き同拘置所に拘禁されている。

二、すべて国民は、個人として尊重され、生命自由および幸福追求に対する国民の権利は、国政の上で最大の尊重を必要とする。思想および良心の自由は侵してはならず、信教の自由は何びとに対しても保障され、宗教上の行為または行事に参加することを強制されないし、国の機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。また、言論出版その他一切の表現の自由は保障され、通信の秘密は侵してはならない。学問の自由は保障される。また、国民は勤労の権利を有し、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有し、財産権は侵されない。そして法の下に平等で、人種信条等により差別されない。

これらは、侵すことのできない永久の権利として、日本国憲法によつて国民に保障された基本的人権である。そしてまた公務員がこの憲法を尊重し擁護する義務を負うことを憲法は特に規定する。

勾留された刑事被告人も右の基本的人権を失うものでないことはいうをまたない。ただ勾留の目的を達する上に必要な範囲で被告人の人権が制限されることはやむをえないところといわねばならない。ここでは、勾留の目的が、憲法に各所で基本的人権の制限的契機として掲げる公共の福祉にあたる。しかし勾留は、被告人の基本的人権の制限的契機ではあるが否定的契機ではないのであるから、これによつて被告人の人権に加える制限は、その目的上必要不可欠の程度で最小限にとゞめなければならない。そして、勾留は被告人の逃亡と証拠の隠滅とを防ぐことを目的とする。被告人の人権の制限は厳格にその目的に必要不可欠な範囲に限局されねばならない。ところで、被告人を監獄に拘禁して行う勾留は、人権の制限として特殊な態様ないし過程をどる。まず、拘禁は、たとえば被告人の勤労権、すなわち勤労によつて収入を得、その収入によつて衣食し、生命と健康とを守り、文化的生存を維持する途を奪う。これに対し、国家は、衣食等を給与して、被告人の生命や健康を保持し、その間の均衡をはからねばならぬ。すなわち、一方でやむを得ず奪いすぎたものを、他方で補いかえし、その間に均衡と調和をはかる。この均衡の適正によつて、はじめて、拘禁の人権制限としての相当性が具体的に確保される。こうして、この場合、給与の適正が、拘禁の人権制限としての相当性によつて不可欠の関係に立つ。また、拘禁によつて、被告人の一身は、国家すなわち監獄職員の全面的な実力支配のもとにおかれ、全生活がまつたくその手中ににぎられる。そのため、いうまでもなく拘束こそ制約的であるのに、かえつて拘束の解除が制約的であるかのごとき錯覚をもたらす。

封建的ないし絶対主義的官僚意識の支配からぬけない因襲的な監獄職員にあつては、右の関係を倒錯し、被告人に与えるものをすべて国家の恩恵と考え、職員はその与奪を自由に行う特権をもつかのごとく意識し、また、ふるまう。そして、被告人の人格を無視して卑屈な服従を強要し、被告人が自己の人格を主張すれば、これを職員に対する侮辱、そして反抗ひいては拘置所の規律を乱すものと考え、被告人に不当な侮辱をかえし、精神的な苦痛を与えるのみならず、報復的な懲戒処分を加え、日常の待遇において不当な不利益を与えるなど、被告人の全生活を手中にゆだねられた国家公務員としての義務と責任の厳しさをわきまえない。

三、右のことは、大阪拘置所において、そうである。原告は、ここに拘禁されて以来、所長以下担当職員の、憲法およびその保障する基本的人権についてのおそるべき無感覚と、これとうらはらをなす絶対主義的特権的な官僚意識とにより、日日しのび難い処遇を受けている。

原告は経済的困窮と外部から世話する人もない悪条件の中でこの拘禁生活に堪え、かつ、自らをきたえつつ、何よりもまず、全力をこめて被告事件のために訴訟を準備するかたわらまた自分が正しいと信ずる科学的世界観の確立のため、寸暇をおしんで学習に身を打ちこんできた。この努力に対し大阪拘置所長以下の職員は、ことごとに原告の権利と自由を拘束し、訴訟活動に抑圧を加え、原告はこれについて要望をし訴願や請願をし、告訴までしたが効果がなかつたので、ついに本件行政事件訴訟をおこしたのであるが、これについてすら原告は各種の妨害によつて、十分な訴訟活動を行うことを抑止され続けている。原告の訴訟資料、証拠資料、法律知識の蒐集整理、また助言の獲得、これらのことが、すべて相手方たる被告の完全なる支配のもとにおかれている。

問題は、日本国憲法が施行されてから、すでに一〇年をすぎているのに、監獄法令のみは旧態依然として根本的な改正がなされず、憲法の要請にそわないまま放置されているところにもある。たとえば、監獄法施行規則第八六条「文書図画の閲読は監獄の紀律に害なきものに限りこれを許す。新聞紙及び時事論説を記載するものはその閲読を許さず」というごときである。

四、被告は、原告の自由を拘束するについて、規律を維持するため、秩序を維持するため、また、管理上都合が悪い、管理上不適当、管理上やむを得ない等のことを理由とする。拘置所の存立が侵害され、その活動が阻害される現実的危険、具体的事情があれば、法規に基き合理的な必要の措置を講ずべきは当然で、その限りで原告の自由と権利が制限されるのはやむを得ない。しかし、その場合、想像され得る事態と現実的可能性とを混同してはならない。現実的具体的な状況に応じて最も妥当な方法を講ずべきである。その判断に被告の裁量がみとめられる場合があろう。しかし、その裁量は、法規や法の趣旨に違背したり単なる便宜や感情による恣意に左右されることを許すものではない。いうところの管理権も決して法の統制から自由ではない。憲法以下の法令に基かない管理は常に不法で、職権の濫用、原告の権利の不当な侵害である。また維持すべき秩序が、人権を侮蔑するごとき秩序であつてはならない。

被告が原告に加える拘束は、秩序、規律、管理権の名のもとに現実的状況に留意するところなく、具体的に合理的な根拠なしに原告の権利を奪い、裁量の範囲を著しく逸脱して、単に被告の便宜ないし感情に基いて行われている。違法といわねばならない。

被告は、勾留を刑罰と同視している疑いさえ存する。

以上、一般的に論述した被告の原告に対する違法な処遇について、つぎに本訴請求に即して、具体的に明らかにする。

五、通信の妨害等

(一)  昭和二九年四月一四日原告の戒能通孝宛通信がその発信を拒否された。教育課長多賀威夫の説明によると、第三者が読んで、拘置所の中で書かれたと判断されるもの、または拘置所の管理上のことを書いたものは発信を許可しないという。昭和三〇年七月一五日閔載寔に宛てた通信は、訴訟書類であるとの理由で発信を止められた。そのほか請求の趣旨一の(一)に列挙した原告の発した各通信は同様の理由で発信を止められた。監獄法も信書の発受をみとめており(同法第四六条)、発信を拒否する法的根拠がない。請求の趣旨一の請求をする。

(二)  昭和三〇年一月一三日原告の国際新聞社に宛てた通信が、墨で抹消され、判読できない事実が返信でわかつた。教育課長竜田晶の説明によると、管理上不適当とみとめるものは拘置所で自由に抹消できるといい、監獄法施行規則第一三〇条を根拠としてあげる。

原告は、前記発信の差止を不当として当時の拘置所長玉井策郎を職権濫用で告訴し、不起訴処分に対して、審判の請求をしたところ、大阪地方裁判所第二刑事部は昭和二九年一二月二七日その請求を棄却した理由の中で「職員において不適当と認めたものにつき、相当の処置がとられることがあるといわねばならならない」と判示し、それ以来、拘置所では拘置所に都合の悪い通信は原告にわからないよう、そして受信人に判読できないように墨で文面を抹消するようになつた。原告は事前は勿論事後にも、抹消およびその箇所を示されないので通信内容が先方に伝達されたかどうか知るに由がなく、途方に暮れざるを得ない。これに加えて、後に記すように、原告の受信する通信も抹消されるので、相まつて文通は不能となり、訴訟のための証拠の蒐集すらもできない。

原告は社会に対し、裁判、裁判制度の不当を訴え、原告に言い渡された死刑の不当も訴えなければならない。そして原告を不当に苦しめる拘置所の実情とこれに対する原告の主張をも公表して世の批判を受け、社会の進歩発展をおしすすめるべき人類の一員としての責任を果したい。かかる行為には、何びとに対しても最大限の利便と保障が与えられなければならない。原告の通信はかかるものを含み、これを妨害することは、言論、表現の自由の侵害といわねばならない。そして右の抹消について、監獄法施行規則第一三〇条(信書の検閲)の規定は根拠を与えるものではない。以来請求の趣旨二の(一)に記載したとおり原告の発信は、屡々抹消されている。

請求の趣旨二の請求をする。

(三)  昭和三〇年二月一六日原告の受け取つた盧承達の同月一〇日付の葉書は、全文二一行のうち八行が抹消されており、これは、原告の同月七日付の葉書に対する返信であり、原告の葉書は、同人に原告の本件行政事件訴訟を伝え証人となることを依頼しその都合を問い合せたものであるのに、原告の葉書の文面も完全に抹消されたようで、盧承達の右返信もその点抹消されているため、意思の疎通をたしかめることもまつたく不可能に終つている。

原告が別に崔南植に出した通信とそれに対する返信も同一の事柄に関した通信であるが、同様の抹消を受け、同様の結果に終つている。以来請求の趣旨三の(一)に記載したごとく原告の受信は屡々抹消されている。その不当なことは発信について述べたところと同様である。

請求の趣旨三の請求をする。

(四)  昭和三〇年一〇月三日原告の発信した通信の検閲のため一三日間が費やされ、同月二一日原告の受信した通信は同拘置所内の閔載寔からの葉書であるがその検閲には八日間が費やされている。これより先、同年二月四日原告の戒能通孝に宛てた通信は同月一四日にいたつてやつと発送され、同年四月二〇日付同拘置所内の盧承達からの葉書も、受け取つたのは同月二八日である。

原告は楊柱錫に宛てた原告の通信が同人の気転で返送されてきたため、原告の通信に加えられた抹消を確認することができ昭和三〇年九月一二日被告を告訴したが、その後は原告の発する通信を上級庁に示して判断を求めるという方途に出るにいたつた。そのため原告が発信手続してから被告が発送するまで、三ケ月以上もかかつて、実質的に原告は通信の目的を達することが不可能な状態にあり、これは発信拒否と同一の結果をもたらしている。原告は、いまは死刑の判決が確定し、もはや証拠隠滅という危険はなく、しかも明日の生命さえ保障されない事態にあり、それでもなお原告の通信にこのような抑止手段を加えなければならぬ法的、実質的根拠が存するであろうか。これは被告の恣意、専断であることは明らかで原告の人権を剥奪するにひとしい。

昭和三〇年一一月二四日、前衛編集部に宛てた原告の通信は昭和三一年二月一三日まで被告の手に発信されぬまま留置され、そのため原告は通信の目的を失つてしまつた。この通信は原告の被告事件の上告趣意書等を内容とするものであるが原告は昭和三〇年七月一五日最高裁判所に上告趣意書を提出し、同年一二月一六日、上告棄却の判決をうけたのであつて右の通信にこのような妨害を加える理由はなんら存しない。以来請求の趣旨四の(一)に記載のように同様の事態が引続き起つている。

昭和三一年二月四日、陳秉玖に宛てた原告の通信は同月一〇日に到るも発送してくれないので、急を要するため、やむなく黒岩利夫弁護士に宛先を変更したところ同月一三日右の通信の一部が発送され残余の本件訴訟の準備書面等は被告の手に留保され発信しない。この通信は原告の被告事件の再審請求恩赦出願及び本件訴訟について協力を求める目的のもので弁護士との交通を妨害する根拠があるであろうか。以来本件行政事件訴訟資料を含む通信はすべて発送を保留され被告の手に留置されている。これは訴訟妨害というほかはない、監獄法施行規則第一三六条「信書の検閲発送及び交付の手続はなるべく速やかにこれをなすべし」との規定を理解すれば抗議をうけなくても迅速を期すべきを原告の抗議をすら耳に入れない。また原告と通信検閲係職員との途中において暇や好奇心ある職員は、原告の発受する通信が、開封のままなのを奇貨とし、自由に盗読できるのである原告の発受する通信の抹消を慎重にするという理由で、教育課長、管理部長その他の職員が回覧検討するのみならず、さらに上級庁の職員にまで回覧しており、通信の秘密の保持と発受の遅延防止の要望や抗議は完全に無視され、少しも考慮されているところがない。

請求の趣旨四の請求をする。

(五)  原告が昭和三〇年九月一二日前記玉井策郎ほか四名を通信妨害を理由に告訴したところ、その後管理部長は、原告の発する請求の趣旨五(一)に記載の通信を、斎藤周逸検事その他の検察官または上級庁に示して通信の秘密を侵した。

請求の趣旨五の請求をする。

(六)  請求の趣旨六の(一)に列挙した原告の発信にかかる各通信はいずれもその宛先に届いていない。右の通信はそのまゝ発信すると拘置所の都合が悪く、抹消するには相手が悪いので、やむなく拘置所において隠匿または破棄したもののようである。以来かゝる疑いは引き続き存しており、疑わしい発信に関する照会に被告は応じない。原告の発信を正確かつ迅速に取りつぐ責任を課せられた被告として右措置は検閲の趣旨をはきちがえた職権濫用というべく、憲法第二一条を蹂躙するものである。

請求の趣旨六の請求をする。

(七)  原告が昭和二九年五月八日弁護人弁護士村本一男に二通の手紙を交付する手続をしたところ、同月一三日弁護権外のものであるから渡すことができないといつて被告から拒まれた。弁護士原田香留夫が死刑に関する自己の論文が掲載された週刊サンケイ(昭和三〇年五月一日号)を原告宛に郵送してきたところ、被告は同年五月七日右論文を抹消してその閲読を制限した。

請求の趣旨七の請求をする。

(八)  原告の昭和二九年九月一〇日付中央公論編集長篠原敏之宛通信が美濃罫紙の使用違反の理由で被告によつて同月一三日発信を拒否されたので、原告は、直ちに原告が告訴した発信拒否事件を調査中の服部光行検事宛「発信拒否に対る供述書」を送付する手続をしたところ、教育課長多賀威夫、第二区長林一明が右送達を拒んだ。

原告が告訴した前記玉井策郎ほか四名に対する公務員職権濫用被疑事件について、原告は昭和三一年九月四日不起訴の処分通知を受けたので、同月一一日午後一時審判請求書を提出したのに、拘置所では同月一三日ようやくこれを検察庁に送達した。右請求書の提出期限は同月一一日であるのに拘らず、被告がその手続を怠つたのである。また右請求書は美濃罫紙一五枚にわたるものであるが、原告は当時被告からコヨリの使用を禁止されていたので糊で貼つて綴つておいたところ、そのなかの一枚が原告によつて天地をさかさまに綴り改められていた。管理部長有田繁雄は、複写をとるとき糊づけをはずしたのを綴るにあたつて誤つたものと思うという。

いずれも不当な処分であるから請求の趣旨八の請求をする。

六、筆記用紙具の制限

従来ノートは自由に使用できたので、原告は三冊のノートをそれぞれ日記用、学習用、雑記用に使用していたが、昭和二九年八月一三日記録中のノートを含む三〇冊余のノートが押収され、以後規則を称して、記録用は一冊に制限された。そして同年九月三日ノート使用誓約書に誓約しないとの理由でノートの使用を禁止された。

ノートの使用誓約書の文言は(1)私は………の目的を以てノート、鉛筆の使用を特別許可して頂きました(2)私は右の目的以外にノート鉛筆の使用はいたしません(3)右の目的以外に使用したりノートの紙を破棄したりしたような場合は、没収または使用不許可になりましても不平はありません(4)私は日本字以外の外国字で筆記いたしません(5)検閲請求ある場合は提出いたします(6)釈放の際に再検閲を受けて、記事が持出不適当と認められ没収されても不平は申しません(7)房内の使用は一冊限りで、それ以外のノートは領置いたします、というのであるが、白紙委任状にひとしいので、文言の訂正をもとめて誓約を拒んだのである。

原告は同月三〇日、(1)法令に違反したノートの使用はいたしません(2)検閲の必要ある場合はノートを検閲のため提出します、との文言で誓約するから許可してもらいたいと申し出で、次いで一〇月二日には、(1)使用目的は斎藤朔郎著事実認定論のノートのため、右目的以外には絶対に使用しない。万一右の目的以外に使用した場合は、いかなる処分も受けます。(2)冊数一冊、として許可願を出したが、いずれも許可されない。

ノートは日記、学習、その他記録ずみノートから訴訟準備のため抜粋するためにも必要であり、右の禁止制限は記録することの弾圧手段であり、通信活動や訴訟活動の不当な妨害で違法な措置といわねばならない。

とくに、原告は死刑確定後「自伝」を書きたいからと、そのためのノート特別使用許可を申請したが、生い立ちの記とか、社会にあつた当時の生活など、拘禁生活にまつたく関連のないものを書くのであれば許可するが、書く範囲と表現の自由を主張する原告に対しては許可できないとして許可しない。

昭和二九年五月二九日原告は、原稿用紙の購入を停止されその使用を禁止された。手もとに残つていたものを同年九月一三日押収された。現在、裁判所用に美濃罫紙、通信用に便箋紙、その他の筆記用に(使用誓約書に誓約して)ノート一冊を許されているが、原稿用紙の使用も、便箋紙で原稿を書くことも許されない。これは、拘置所の実情とその批判を外部に発表するのを防ぐ意図によるもので、言論、表現の自由の抑圧であつて、その違法は明らかである。

昭和二九年九月七日、購買部で従来から自由販売していた美濃罫紙の自由販売を停止し、上申書の作成のみに許可する旨の通告を受けた。その後裁判関係の書類作成に使用することは許可する旨修正されたが、通信および通信文等文書のコピーに使用することは禁止されており、使用の都度許可申請を要し、書き損じた紙は必ず領置しなければならぬ。

また通信用に便箋紙が許可されているが、これも使用の都度許可申請を要し、通信文以外に使用できない。従来のように、拘置所への意見書や抗議文または通信文、訴訟関係書類の草稿を書くことを許されないし書き損じた紙は領置しなければならぬ。

筆記用紙具については規格の統一という理由で、拘置所内の購買部からの購買を強制されているが、購買部は財団法人矯正協会大阪拘置所支部の運営で営利事業ではないというが、営利事業である。原告は用途に応じた良質または安価な品の購入を希望してもできない。購買部で販売する以外の万年筆、赤色インキ、赤色鉛筆、消ゴム、ペン先、スケールその他の筆記用具の購入、差入を許可されないし、使用も許されない。

以上のほか筆記用紙具については請求の趣旨九(一)のとおりの措置をうけたがいずれも不当な処分で、違法というほかない。

請求の趣旨九、一〇の請求をする。

七、書籍新聞雑誌の制限

(一)  原告は、昭和二八年七月一三日被告から文書図画の閲読を二〇日間禁止された。

原告は、昭和二九年六月一五日保安課長坂上武雄からだしぬけに「ドアを蹴り職員に暴言をはいたかどにより、文書図画閲読一ケ月禁止、軽屏禁一ケ月に処す」との懲罰の言渡を受け、文書図画の閲読禁止は直ちに執行された。

原告は、同月九日看守部長長谷川喬と原告居房の扉をへだてて、さきに原告が発信拒否、弁護人との交通妨害などの件で矯正保護近畿管区本部長にした訴願に関して用談中、右長谷川から侮辱されたので、扉を軽く一つ蹴つて長谷川の言辞に応酬した。同年五月一七日、所長代理の有田繁雄がなした約束を無視して同年六月一二日戒能通孝に宛てた通信の発信を拒否されたので同月十四日当時の大阪拘置所長玉井策郎を職権濫用で大阪地方検察庁に告訴し、右長谷川との粉争については、これに抗議するため管理部長有田繁雄に面接をもとめていた矢先、突如右懲戒処分が行われたのであるが、経緯からいつても不当な処分である。被告は規律違反を口実として屡々文書図画の閲読禁止、軽屏禁を科している。原告に文書図画の閲読を禁止したのは違法である。

右懲罰の執行にあたり、原告の所持する四一冊の書籍三〇余冊のノートは押収されたが、昭和二九年七月一五日右懲罰を解く旨の言渡を受けると同時に「以後、私本の房内許可を五冊に制限する」旨の通告を受け、以後その制限に服している。ただ六法全書は制限外におかれている。

右は上級庁の通牒に基く拘置所の規則だという。そして文書図画閲読規準として(1)犯罪記事(2)エログロ記事(3)その他収容者に閲読せしめて不適当と思われるものが、削除または不許可になるという。昭和三〇年二月一九日、内容が不適当の理由で「絞首台からの叫び」(秋山正夫著)「死と壁」(玉井策郎著)が閲読を禁止された。その法的根拠は明らかでないが、右の制限は、憲法の保障する学問の自由、思想良心の自由、を抑圧し、原告の訴訟活動を妨害する違法な措置である。

(二)  原告は、昭和三〇年一月一三日国際新聞を、昭和三二年一〇月一一日朝日新聞を直接購読すべく購読料を送金しようとしたところ「新聞の直接購読は許可できない」と発信を拒否された。

前同様違憲の措置である。

(三)  原告は、昭和二八年一〇月一三日付から昭和二九年四月末日付まで教育課長花咲正順の特別措置により朝日新聞を購読したが、一日として、削除や抹消されない完全な新聞紙の閲読を許されたことがない。三面記事はいうに及はず、第一面はおろか広告面まで抹消された。抹消された第一面記事は、例えば「有田氏と秘書を釈放」(昭和二九年三月八日)、「疑獄深刻、政府窮地に陥る」(同年四月一七日)、「法相指揮権発動」(同月二一日)、「天声人語」(同年二月一八日)などであり、「松川事件第二審判決要旨全文」(昭和二八年一二月二七日)の記事も削除された一例である。

そのほか昭和三二年一二月一日付から同月一〇日付までの朝日新聞「週刊朝日」以下「朝鮮」等請求の趣旨一二の(一)に掲げた雑誌のほか、平野竜一著「死刑」なども内容の一部を削除あるいは抹消して閲読が許可されている。

昭和三〇年一二月一二日以降は「差入(購入)の本は検閲の結果、不都合の箇所があれば、切取又は抹消されても差支ありません」という誓約事項に、差入人又は購入者(原告)が事前に誓約しなければ、差入や購入することが許されない。

右のような朝日新聞の第一面記事や、世界などの雑誌が拘置所の秩序や規律を乱すとされるわけである。いうところの秩序や規律の何たるかを思いみるべきである。原告はまた、何故、犯罪記事を読んでならないか、その根拠を理解し難い。

請求の趣旨一一ないし一四の各請求をする所以である。

八、記録ずみノートの使用制限

原告の記録ずみノートは約五〇冊ある。

昭和二九年八月一三日、検閲のためと称して全部を押収し、以後四冊を限度として監房内使用を許されている。

右のノートは日記や学習記録、被告事件の訴訟の記録、刑事訴訟法その他の重要な記録であり、日記ノートだけでも三一冊、刑事訴訟に関するノートだけでも五冊や六冊ではない。被告事件の準備や本件訴訟のため、また処遇の不当を批判する文書を作るためにも閲読抜粋の必要があり、領置仮出手続によつて交換することも能率的に行われず、現在活用が甚だ困難な状態にある。原告の訴訟活動などの弾圧といわねばならない。

請求の趣旨一五の請求をする所以である。

九、手紙類公文書の領置

昭和三〇年五月六日原告の所持する手紙類公文書を領置したが、これらは、訴訟に関する文書あるいは拘禁生活に必要なもので、文書の内容を全部記憶することは不可能である。仮出の許可はむづかしく、手続も困難で、能率的に行われず、領置は不便であるばかりでなく、不慮の失敗や危険負担の原因となるものであり、その所持が、拘禁確保の支障となることは考えられない。領置は不当であり、請求の趣旨一六の請求をする所以である。

一〇、ラジオ放送

各監房にスピーカーを設置し、親ラジオと接続して、原告をふくむ全収容者に放送局からの番組放送や、マイクロフオンを使用して種々の放送をし、画一的に聴取させているが、その放送内容は、監獄法の規定する文書図書閲読の基準によつて選択され、各監房の外にあるスイツチは職員が「お前は行状が悪いからラジオは聴かさん」といたずら半分に切ることができるが原告等は自由にスイツチを操作することもできない。そして、昭和二七年五月八日から放送局の発する「ニユース」「録音ニユース」などの「ニユース」の中継を拒否し、代用に、拘置所で新聞記事を編集し「新聞報道」の時間を設けアナウンスしており、その他「時の動き」「今日の問題」「街頭録音」「政治座談会」「青空会議」「国会討論会」などの時事論説、市民的教養番組を聴取させず、わずかにNHKの「ニユース解説」を中継しているがそれも時にはカツトされる。美談や逸話に類するもの、短歌や俳句、その他宗教的情操教育に資するものが尊重される。他方NHKの「とんち教室」や「話の泉」を教養番組だというのであるから、拘置所の時代感覚の程が知れる。

昭和三一年三月一八日、富士キヤバレーの斎藤正雄楽団と三人の接客婦を受け入れて音楽会なるものを催し原告等舎房の在監者にも中継したが、そのなかで、司会者中田某は「昨年大阪刑務所へ慰問に行つたとき、白浜さんを見覚えていた人が刑務所から出て店に遊びに来られまして白浜さんに結婚を申し込み、今も時々遊びに来られます。皆さんも拘置所を出られましたら、店に遊びに来て下さい。京さんでも、日暮さんも、そのほか誰でもお好きな人を御紹介しますから―――お元気でお帰り下さい。私達も店でお待ちしておりますから」というよう露骨な広告宣伝文句をいれたが、教育課長竜田晶はこれに対して厚く謝した。ラジオ放送の娯楽番組だけで足らず、毎月一、二回「慰問」演芸会を催すのであるが右はその一例であり、被告等の良識が疑われる。「犯罪の裏に女あり」とわめくのも、また「我執」「解脱」を説いて「無我」を強要するのも彼らなのである。「よーし、今度出たらうまくやつて富士キヤバレーへ遊びに行こう」と考える無知な者が拘置所を出てまた犯罪をおかした場合、その責任は一体誰が負うのであらうか。資本主義体制の残酷な生存競争がすべての人間をして、利己的、本能的欲求の追求に追いたてるのであつて、犯罪の根源もまたここにあるのである。犯罪をおかさねば生きて行けない人間にとつては、資本主義体制を打倒するか、或いは自主的に人間革命を遂げるか、いずれかを実現しなければ一生涯、犯罪からのがれることは困難である。拘置所のラジオ放送や新聞報道が誰の利益を考えるものであるか、それはあまりにも明白すぎる。

番組の選択は、低俗な歌謡曲、浪曲、漫才、落語等の愚民政策的な娯楽重点主義で貫かれ、拘置所の編集になる新聞報道のアナウンスの内容も、監獄の規律に害なきもの、教化上有益とみとめるもの、収容者に閲続せしめて不適当と思われるもの、などという制約その他の偏見で、ニユースの検閲をし新聞論説は程度が高いといつて紹介されず労働問題、社会問題、国会討論などの内容は都合が悪いというので抹殺され、防火週間などには感心するほど、その種ニユースの報道に力を入れ、火災予防などの知識の啓蒙につとめるのに、人権週間には、人権のジの字も言わない。

被拘禁者といえば一概に倫理感が麻痺しており、道徳意識が低く、知性に欠け、責任感も、自主性も、信頼性もないもののように規定しようとしている。しかし、被告は現実の犯罪と犯罪者について十分の知識をもつているのであるが、原告等在監者の人間更生を阻むため、無知につなぎとめるために右のような措置を講じていることは明白である。

資本主義社会のマス、コミユーニケーシヨンが歪曲される事実は否めないところであり、社会のあらゆる現象は表面的な個々のニユースのみでなく、その事実をある範囲と深さにわたつて探求してはじめて真実が発見できるものである。ラジオ放送とマイクを正しく利用すれば十分な「政治教育」と「社会的教養」を体得できる絶好の機会にある原告等に何故真実と知識を供給しないのであらうか。拘置所は放送用の増幅器と別に録音用の増幅器をもち、録音機や短波受信装置までもつておりながら、かかる偏頗な放送のみの聴取を強要するのは、憲法に反するものと考える。

昭和二九年六月一五日原告は、上記懲罰の言渡を受け、同年一〇月二九日から軽屏禁の執行を受けたが、それと同時にラジオの聴取を禁止された。

監獄法第六〇条第一項第一一号の右軽屏禁に、規定外のラジオ聴取禁止を附加するのは、恣意的で違法といわねばならない。受罰者に苦痛を加えるためにするこの措置は憲法に違反すると考える。

昭和三〇年一〇月一日から一ケ月間、同年一一月一日から一五日間原告はラジオの聴取を禁止されたがこれも不当である。

請求の趣旨一七および一八の請求をする。

一一、宗教活動

(一)  昭和二九年九月二一日から毎週火曜日に「宗教の時間」そのほか「鏡の時間」「ひこばえの時間」を設けて大阪府宗教教誨員等により、宗教教育を実施し昭和三〇年一月三日以降は日本短波放送の「光を求めて」の時間を特別中継して宗教教育をしており、また、受刑者死刑囚に宗教講話をする場合マイクで中断して請求の趣旨一九の(一)に記載のごとく原告等在監者に聴取させて宗教教育をしている。

これは明らかに、憲法第二〇条第三項に違反する。請求の趣旨一九の請求をする。

(二)  大阪拘置所内に教誨師会なる組織をつくり、宗教家に特別の便宜を与えて、原告等の不安な心理状態につけこみ教誨に名をかりて布教活動をしており、宗教的行事や宗教的講話をおしつけ、所内に宗教的雰囲気を醸成して宗教教育を行つている。拘置所の教育課長が僧侶であること、拘置所で宗教家が特別の地位と任務を与えられていること、監獄法施行規則第九五条の二(一月一日、紀元節、天長節、明治節、其の他特に司法大臣の指定したる日に於ては前二条の規定に拘らず特別の糧食又は飲料を給することを得)による特別糧食飲料が宗教に関係ある日を特別扱いすること、教誨堂に仏壇のあること、その他からみて、拘置所において宗教は特別の地位が与えられている。

このようにして、原告も昭和二七年七月三〇日吉川卓弥、同二九年五月二九日以降筧智行、同三〇年三月五日以降丸川静海、同三一年一月二四日以降前田朴等の布教を受けている。

昭和三一年一月二四日前田朴は「私は死刑の問題にタツチしたくありません。私が拘置所へ来るのは神の愛をお話するためです」と言つて神の愛を説いた。宗教家による監獄の教誨は、要するに原告等の意識を麻痺させ、真実の人間更正を阻み、ひたすら宗教的信仰を植えつけて宗教が生る地盤を温存するための活動にほかならず、原告等を歴史社会の荷物にしようとする意図は明白である。

人間性の探求を抑圧され、正しい思索を邪魔されたら、いやでも引つぱる方向に従順に歩くほかない。監獄における彼岸の「ぼたもち」は原告等の重大関心事であつて、飢えて無知な人間はその甘さを仏の恵みであるという嘘をうのみにするのである。

右は前同様、憲法第二〇条第三項に違反する。請求の趣旨二〇の請求をする。

一二、給与等

(一)  原告は、昭和二七年一二月二三日医務課長藤村俊雄から保健食給与の規定に該当するとして保健食給与の決定を受け、昭和二八年一月一二日には同医務課長から肺浸潤と診断され休養を許可されるとともに特別菜給与の決定を受け保健食特別菜を給与されてきたが、管理部長有田繁雄の命をうけて同医務課長は昭和二九年一〇月一三日健康を回復しない原告の休養を解除し、その翌日から、特別菜の給与を停止されたが、同時に休養と関係のない保健食の給与も停止された。そして昭和三一年一月三一日保健食の給与のみ復活し現在も続けられている。

原告は、昭和二六年二月以来拘禁生活を続け、体重は減少し、健康を徐々に失いつつある。特に、無資力のため、給与される糧食以外で栄養をとる途がない。被告事件による苦悩も並大ていではなく、健康を失いつつあることは自身で一番よくわかる。

監獄法第三四条は「在監者にはその体質、健康、年齢、作業等を斟酌して必要なる糧食および飲料を給す」と規定し、要するに当該在監者の健康を維持するに必要な糧食飲料を給与すべきことを定めているものであるが、原告の合法的獄中斗争を弾圧する一手段に上記の措置をとつたことは明白であつて原告の健康状態を無視した右の処置は違法といわねばならない。

原告の行動にして不都合なものがあつたら、合法的に規整してもらいたい。行政処分は些細なものでも、感情や気分で左右されないことを確認したい。

請求の趣旨二一の請求をする所以である。

(二)  監獄法施行規則第九四条は、在監者に給与する糧食の種類および分量を定めている。そして給与される飯は分量によつて等級(植木鉢をさかさにしたような型につきかため、上に二、三、四、五の字が印される)がつけられているが、原告は現在四等飯と普通菜とを給与されている。受刑者は作業により二等三等となつており、前にあげた保健食というのは四等飯にあたるが、飯の分量は不思議な程変る。

大阪拘置所には昔から日曜祝祭日に「バカ飯」といわれる大きな型の飯が給与される慣習があつて、在監者はそれを恰も当局の恩恵のように考えている。警備隊員である柔道部員や剣道部員の稽古後に与える食事は勿論のこと、一般職員食堂に横流しする米麦その他の調味料等すべて原告等の監視できないところである。職員食堂の食費は一日五〇円(朝一二円、昼二〇円、夜一八円)である。

副食物は二等飯も五等飯もすべて同一のものでその分量は五等飯を食べるのに不十分でありしかも二等飯は五等飯の約二倍ある。これらは全く不合理で不十分な糧食というほかない。原告が現に給与されている四等飯が何グラムで菜が一日何円か全然わからない。用度課長高橋元治は原告の執拗な面接願、要望書、質問書に応じないが徐々に給与がよくなりつつあるので不思議でならない。

原告の排便状態についてみると、保健食特別菜を給与されていたときは二日に一回であつたのが、その停止後は五日ないし一週間に一回となり、原告が保健食ならびに特別菜停止処分取消の訴(昭和二九年(行)第八四号事件、その後取下)を起してからは、五等飯の分量が少し多くなり、最近の排便は四日ないし五日に一回となつた。これは原告が最低の食生活も満たされていない事実を物語る。原告に給与されている糧食は法定の分量に不足するもので憲法第二五条に違反する。

請求の趣旨二二の請求をする所以である。

(三)  原告は昭和二八年五月一二日懲役監である五舎に隔離されて以来、拘置所内に設けられてある理髪所に行くことを禁止され、理髪は理髪夫が五舎に出張し、机を椅子がわりにして無料理髪するようになつた。ところが、昭和三〇年四月二七日無料理髪を停止され、法廷に出るときは、ひげそりだけ無料でする旨を通告された。同年五月二六日原告は、四月六日理髪しただけで、辛抱できなかつたので、料金を払うから理髪させてくれと申込んだところ、五舎に理髪夫が出張してきた。原告は、理髪所へ行き、椅子にかけ、鏡を見(現在鏡の使用は許されていない)サービスを受けることも理髪料金の中に含まれると主張し、五舎での理髪を拒否したところ、理髪所へは連れて行けないといつて、理髪を拒否された。被告は理髪によつて一ケ月数万円の収入を得ながら金のない在監者は丸坊主になるのでなければ理髪もしてくれない。

原告は昭和二九年一二月七日、歯ブラシ、歯磨粉、石鹸、塵紙およびタオルの給与を拒否されたが昭和三〇年九月一日所持金がない場合のみ歯ブラシ、歯磨粉、洗濯石鹸を給与する旨通告され、以後二ケ月に一個宛もらえるようになつた。また昭和三一年二月二日、所持金を切らしたので本件訴訟書類を作成する目的を告げて美濃罫紙、カーボン紙の給与を求めて拒否され、次いで同年三月一三日死刑廃止、監獄法改正に関する国会への請願、そのほか恩赦願をする旨を表示してその費用の給付を依頼したが黙示の拒否をうけている。そのほか請求の趣旨二三の(一)に記載のとおり用紙の給与を拒まれた。金を差し入れてもらうあてのない原告は、自己に宣告された不当な死刑を排除するための手段を講ずることができず、憲法第一六条に規定する請願権も行使することができない、これでもなお原告はおとなしく絞首台に向つて歩かねばならぬのであろうか。

請求の趣旨二三の請求をする。

(四)  原告は、昭和三〇年一〇月一日、窓にのぼつて職員に反抗したこと、頭をドアに向けて寝、職員の注意をきかなかつたことの二つを理由に、軽屏禁一ケ月の懲罰の言渡を受け、そして「軽屏禁中は運動および入浴を停止し、ラジオの聴取を禁止する。洗濯と理髪は担当看守に申し出でよ」との通告を受けた。しかるに同月四日、洗濯と理髪の申出をしたところ「軽屏禁執行中は、洗濯も理髪もできない。洗濯は監房内でせよ」と通告された。

洗濯は洗濯房へ行つてしなければならないことになつており、原則として監房内ですることは禁じられているのであり、原告は隔離厳正独居処分をうけ洗濯房へ行くことを禁じられていて警備隊員が戒護し、五舎の廊下の東端にある水道を利用して洗濯をすることになつており、理髪も警備隊員が、理髪夫を原告の監房へ連れてくる。そして監房内での水の使用は極度に制限され、パンツなどの小物は別として大きな洗濯物は事実上監房内では洗濯が困難である。

原告は監獄法施行規則第二三条の方法によるほか、隔離厳正独居拘禁をうけており、精神的苦痛は想像以上のものがある。しかるに監獄法によつて規律違反の口実のもとに不当な懲罰権が発動される。拘禁に加えて屏居させることは基本的人権を蹂躙する暴挙というほかなく、かかる野蛮を許容するのが監獄法である。懲罰権の発動は職員の権威と奴隷的秩序を保持するため原告等在監者の人間性を抑圧する暴力であり、その適用は全く一方的で合理性も説得力もない。原告は昭和三〇年一一月一日前記懲罰に引き続き一五日間のいわゆる軽屏禁のマラソン執行をうけたが昭和二九年六月一五日肺浸潤で休養中、文書図画閲読禁止一ケ月、軽屏禁一ケ月の言渡をうけ、軽屏禁の執行のみ健康を恢復するまでその執行の無期延期の言渡をうけ同年一〇月二九日から軽屏禁の執行をうけた。

右は憲法の規定する基本的人権を蹂躙し、人格の尊厳を侮辱する措置であるばかりか、被告等の懲罰権発動は違法である。

請求の趣旨三二の請求をする。

一三、差別的隔離

(一)  原告は、昭和二八年五月一二日、拘置所長と面接の席で、「拘置所の生活は周囲の環境が非常に悪い」と言つたところ、所長は「では、環境のよい房へ移してやる」といつて懲役監である第五舎第一号へ転房させられた。いわゆる「隔離厳正独居」処分である。その解除を要求したのに対し、管理部長有田繁雄は、「規則を乱して秩序を破壊するおそれがある」との理由で解除してくれない。拘置所の管理、秩序の維に名をかりた、いわれなき弾圧である。

監獄法の規定する拘禁は、雑居拘禁と独居拘禁しかないが実際には、独居拘禁に普通の独居拘禁と、隔離厳正独居拘禁とがあり、その名称も行われている。普通の独居拘禁にして都合の悪いものは、鎮静監房に隔離厳正独居拘禁している。つまり、拘禁には、雑居拘禁(窃盗はじめその他大勢)、普通独居拘禁(重罪被疑者から死刑囚)隔離厳正独居拘禁(精神異常者、不逞分子)の区別がはつきりとある。そして大阪拘置所における鎮静監房は、部厚なガラスのはまつた直径数糎の視察口が二個あるのみで薄暗い、煉瓦コンクリート造の一見トーチカのような監房で、ここに押しこめられ二重の扉をしめられると、とたんに呼吸困難を感じ異様な恐怖におそわれるという。監獄の規律を厳守させ、奴隷的秩序を維持するには、懲罰を定めた監獄法第五九条第六〇条、鎮静衣の使用を定めた同法施行規則第五〇条等で十分すぎるのに、さらに右のごとき鎮静監房をひそかに設けて人間虐待をしている。いつてみれば、鎮静監房は監獄の中の牢獄、隔離厳正独居拘禁は、監獄社会における懲役である。

ただ、原告の場合は、鎮静監房に拘禁する理由がないので便宜的に、懲役監に隔離厳正独居拘禁をしたのである。

その結果、普通独居拘禁であれば数名一緒に運動場で運動するのに、原告はただ一人死刑執行場前で運動させられる。入浴も同様ただ一人特別の時間に入浴させられる。死刑囚は教誨に出ることができるが、原告は教誨(宗教講話、一般講演、演芸会、映画会、俳句会、テレビジヨン観覧、慰問会等)にも参加を許されない。理髪所にも洗濯房へも行けない。診療も時間外にされ、三ケ月に一回の健康診断もしてくれない。購買係が物品販売に来ないので、物品の購入に大変不便である。図書の貸与も後まわしにされるので残りものしか当らない。

その上、監房内では、立つこと、ひとり言をいうこと、体操すること、寝ころぶこと、窓から外を見ること等が禁止され、職員は必要以外原告と話すことを禁じられている。原告は昭和二六年二月から独居拘禁、昭和二八年五月から隔離厳正独居拘禁されているが、この生活の苦痛は、体験しなければ理解できない底のものである。

旧態依然たる監獄法においても、「在監者は心身の状況に因り不適当と認むるものを除く外これを独居拘禁に付することを得」(第一五条)といい、同法施行規則も「在監者の精神または身体に害ありと認むるときは、在監者を独居拘禁に付することを得ず」(第二六条)「独居拘禁の期間は二年を超ゆることを得ず・・・」(第二七条)等といい、独居拘禁による心身の苦痛その他の害悪について十分の考慮が払われているのである。

原告は、科学的社会観を自己の信条とし、この思想に向つて自己の人間を形成することに努力しているものである。そして憲法の基本原理たる平和主義民主主義の原則を擁護し、人間性に立脚したよりよい社会の建設に最善の努力をしている。不当な規律、不合理な秩序を合理的に排除し、新しい規律や秩序を探究する。こういう立場で大阪拘置所の拘禁管理を批判し、処遇改善を要望するのみならず、拘置所の実態を外部に対しても明らかにしようとする原告を、普通の独居拘禁にしておいては都合が悪いので、隔離厳正独居拘禁にしたのであるが、その被告の目的は、(1)苦痛によつて原告の闘志を挫き、ひいては思想改造をうながす、(2)矛盾と不合理、違法と不当に充ちた拘禁管理の一般の実情を原告に見聞させたくない、(3)原告の影響から他の在監者をまもる、ためである。原告を不逞分子視し、原告を敵視しているのである。

原告の隔離厳正独居拘禁は憲法第一三条および第一四条第一項に違反し、原告の心身を不当に苦しめ、基本的人権を抑圧するものであり、なお、懲役監に拘禁することは、監獄法第三条第二項に違反する。

請求の趣旨二四の請求をする。

(二)  原告は、右のように、五舎第一号に隔離厳正独居の処分をされた後は、運動場に運動に出ることを禁止され、病舎の西および北側空地で運動するよう命令された。しかるに、昭和三〇年九月一日から、保安上の都合、という理由で、拘置所内死刑執行場西の約二メートルと六メートルの狭い空地で運動するよう命令された。原告が他の者を煽動するとか、通謀するとか、その他不穏の言動があるというのであればともかく、逃亡、罪証隠滅などは勿論、そのほか良識を逸脱するようなことに関しては原告は自己の人格にかけても非難されるようなことはしていない。自己の主張を強く訴えるためにも言動については冷静に反省検討する必要を十分自覚しており被告達の弾圧に口実を与えないために細心の注意を払つている。死刑執行場前を忌避して病舎の西側に出ると柔道部員である運動係看守が原告の腕を引つぱつて指定場所へ連れて行く。普通の独居拘禁なら数名が一緒に運動するので、その間だけでも拘禁からくる苦痛を発散することができるのに、原告は交談を禁止された看守と対時してこのように息抜さえさせない。

請求の趣旨二五の請求をする。

一四、日常の起居の拘束その他

(一)  原告は、平日午後零時から一時までの間、新聞報道があるので、ラジオをききつつ一時間横になつて疲れを休めることにしている。昭和二九年一〇月一三日休養許可を取り消された後は、一時の横臥も医務課の診断と許可を要するという副看守長林一明の説明によりその手続をしたが回答が得られなかつた。昭和三〇年三月一五日配付された「収容者遵守事項」なるパンフレツトに「居房内ではほぼ中央に位置し、勝手に寝ころんだり、窓によじ登つたりしないこと」「就寝時間中は許可なく起きていたり・・しないこと」などの遵守事項があり原告は、同年四月七日管理部長有田繁雄に右遵守事項に関し総括的質問書を提出したが回答がなかつた。就寝時間は、午後八時就寝、午前六時半起床(冬季は午後七時就寝、午前七時起床)であるが、一〇時間半とか一二時間の就寝時間は、病気でもない成人として非常識である。右の時間就寝すると腰などが痛むのであるがそれをほぐすための体操は勿論暫らく立つことも房内を歩くことも禁止されている。昭和三〇年五月三日も疲れを休めるため横になつたが、半時間ほどすると林副看守長に起され、とがめられたので論争となつた結果、今後は事前に担当看守に申し出て、その許可を得てから横になること、申出があれば許可するようにするとのことで、原告も諒承し、翌日からは担当看守に、あらかじめ、午後零時から一時まで一時間横になることを申し出て、許可を得た上横になつていた。

昭和三〇年五月一一日担当看守田中晴幸に同様申し出たところ同看守は、毎日では常識にはずれるといつて怒り許可しなかつた。そして、林副看守長も同じ理由で、田中看守の不許可の処置を支持した。

また、原告は、昭和三〇年五月二七日、午後八時以後午前六時三〇分以前に起きて学習することを禁止されたが、これは原告等在監者に動物的生活を強要するものであつて人間性を蹂躙するものというほかない。

いずれも、不合理な奴隷的拘束であつて違法な処置といわねばならない。

請求の趣旨二六の請求をする。

(二)  原告は従来就寝時は頭をドアの方に置き窓の方に足をのべて寝ていた。水道及び便壼が窓の下にあり、視察口から寝顔がまともに見えるからである。ところが、昭和三〇年六月二七日、頭を窓の方に置き、足をドアの方にのべて寝ないと規律違反で懲罰になるかも知れないと通告された。

監房内の挙措動作については、良識に従つた自律をみとむべきで、規整は合理的でなければならない。管理部長有田繁雄の説明によると、寝るとき視察口から寝顔が見える位置に頭をおくのは原告等在監者が発作的急病で本人が自ら救援をもとめられないときでも寝顔が見えれば監視の職員が直ちに救援の方法を講ずることができるというのであるが、これは詭弁というほかない。視察口から監房内をのぞくと天井は別として、ドアの下数十糎が死角で寝ている場合は頭のみその死角にはいる。仮りに原告が発作的急病により声と体の自由を完全に失つたとしても監視の職員にその異常が発見できないことはないのであつて、寝顔をかくすことぐらいは被拘禁者といえども奪うことのできないたしなみではあるまいか。長い間これを許容して来たのに何故今禁止するのかその理由が諒解できない。かかる非人間的規則には従えない。規律の保持とか原告の保護とかいう理由はあまりに一方的でこれでは檻に入れられた猿より悪い。視察口が小さくて視察困難なら、適当に改造するのが合理的である。原告の居房の視察口はその後増設され視察の都度大きな音がするので安眠を妨害されている。

請求の趣旨二七の請求をする。

(三)  原告は昭和三〇年六月一三日、監房内で上半身裸になること、パンツ一枚の姿態になること、水で体を拭くこと、および窓ガラス、視察口、食器口を開放することを禁止された。夏季特別処遇期間(例えば昭和三〇年七月一日から同年九月一九日)以外、これらのことは許されないし、パンツ一枚の姿態になることは右期間中も許されない。暑さに対処するためこの程度の行為をすることさえ禁ずる理由を諒解できない。違法な禁止というべきである。

請求の趣旨二八の(一)(二)の請求をする。

(四)  私物の蒲団、座蒲団、毛布、丹前、着物、オーバー等の差入は許される。しかし、これらを利用できるのは、特別の者で大部分の被告人たる在監者は、着衣さえ十分でない実情である。そして冬季に拘置所の貸与してくれるのは、敷蒲団一枚、掛蒲団二枚である。

収容者遵守事項には「寝具を座蒲団に使用しないこと」とあり、原告は昭和二九年一二月七日前記林一明から、「蒲団をを座蒲団がわりにすると、就寝時刻まで蒲団をとりあげる」と通告されたが、その後、黙認されて掛蒲団一枚の一端を座蒲団に代用していた。しかるに、昭和三一年二月一八日、寝具に貸与したものを座蒲団がわりにするのは規則違反だからやめるよう通告をうけ同月二一日蒲団をとりあげる旨の言渡をうけて以後蒲団をとりあげられている。

職員は官給のオーバーを着用し、事務室休憩室にはストーブがあり、所長室にはスチームがむんむんするほど通つている。憲法第二五条を考えれば、最小限度の暖をとるために寝具を利用することは許してよいはずである。金のある者は十分の差入ができ、毎日湯たんぽを使用できるのに、金のない者は、畳の上に坐つて寒さにふるえなければならない。「耐寒訓練上の生活指導」とか「規律維持」のためとかいうがが、法の要請に無感覚な時代錯誤の観念論であり、人権を侮蔑しひいて原告の訴訟遂行を妨害する違法な処置である。

請求の趣旨三〇の(一)(二)の請求をする。

(五)  原告は、昭和二九年一〇月二一日原告の居房に対する監房検査に立ち会うことを禁止された。監房検査の公正のためには原告を立ち会わせるべきであり、これを禁止したのは不当である。

これまで、原告は、正当に許可されて所持していたものを知らぬ間に窃取されたこともあり、最近には、購入物品引換券(拘置所では現金の使用ができずその代りをする)が紛失し、その旨申し出ても取りあつてくれない。また、教育課で閲読許可した「絞首台からの叫び」(チエコスロヴアキア共産党員の獄中記)を監房検査で不適当の判定をし、保安課長から教育課長に注意を送り、その結果この書の閲読を禁止された。そして、監房検査に際しては担当の職員は、原告の書信日記などを好奇の眼をもつて検閲し、原告の読書、学習の状態を調査し、その思想を調査する。監房検査は保安と規律違反の摘発とのためというが、明らかにその合理的な範囲を逸脱している。監房の構造は事故防止の立場から十分安全な設計のもとに作られており原告等は外部と完全に交通が遮断され、監房を破壊する器具は勿論、正当な手続によらない物品を所持することはできない実情にある。昭和三〇年一二月一九日最高裁判所から死刑宣告の通知をうけた原告は以後専任の監視職員によつて日夜の動静につき特別監視をうけている。これが被告代理人有田繁雄のいう、「特別警備」なのであつて、死刑という刑罰の残虐性を物語る証拠の一つである。かかる実情にある原告は毎日特別な監房検査及び身体検査をされているが被告は原告を孫悟空と間違えているのではあるまいか。原告はとうてい、原告不在の間に行われる監房検査について拘置所の職員を信用できない。

その行うところをみると、監房検査は、保安とか規律維持の美名のもとに、拘禁生活の平静を乱し、畏怖心を植えつけるための心理的牽制の目的のほか、監房内の清潔整頓を乱していやがらせをするほかの何ものでもない。

そして、昭和三〇年五月二〇日大阪簡易裁判所で逃走事件がおきて以来は、従来一週間に一度位であつた監房検査が毎日行われ、検査に当る職員の数も四名から六名に増員されながら滞貨に悩む書信検閲係職員は二名以上どうしても増員しない。

原告は監房検査はやむを得ないと従来自発的に協力し、その立場上ある程度のことは辛抱してきた。しかし忍耐には限度がある。原告の権利の不当な侵害、原告の人格に加える故意の侮蔑、権力を乱用して原告をなぶりものにすることに対し、反抗することは原告の人間的任務である。原告は監房検査の口実の下に、なぶり者にされている。担当職員の機嫌次第で昨日まで使用を許されていたものが今日は押収され、原告がせつかく整頓した居房、段落のできないよう工夫して調節を加えた畳などを乱暴に乱して立ち去る。監房検査係長の大東昭夫看守部長は原告の抗議に対し「監獄法によつて公務を執行しているんじや。文句をいうな」「上官の命令によつてやつているんじや。文句をいうな」「国家権力に反抗するんか。こつちの命令に従え」「文句があつたら上官にいえ」などといい放つ。このことで保安課長に面接をもとめても得られない。原告は、泣き寝入りか暴力に訴えるか二者択一を強いられているようなものである。

請求の趣旨三三の請求をする。

(六)  被告は監獄法第一九条後段の「監外にあるときは戒具を使用することを得」を曲解して、大阪拘置所監内にある鉄扉の外に出るときは、監内にあつても手錠をかけるという規則を作つて、原告はじめ被告人に適用している。従来はなかつたのであるが、昭和二九年の何時頃からか実施され、昭和三〇年九月一八日から大阪拘置所内を連れ歩くとき原告に手錠をかけることにしている。

請求の趣旨三一の請求をする。

(七)  被告は、昭和三〇年一〇年一日原告の居房入口ドアの上にある窓のガラスを銅製細目の金網にとりかえその上にセロフアン紙を貼つた。また同年一二月一九日入口と反対側にある窓のガラスを同様金網にとりかえ、その上に白い塗料をつけて風防を施した。このため原告の居房は明るさが激減され、従来でも窓に高い遮光塀がとりつけてあるので雨天や曇天の日には電燈をつけなければならなかつたところ以後は常時電燈をつけている。停電すると原告は読書もできず、ものを書くこともできない。

また昭和三一年三月一七日それまで約三〇糎のコードで天井からぶらさがつていた電燈が天井にくつつけられ電球の上を金網で蔽つた。天井の高さは約四米ある。

右の措置は原告の自殺防止に関連するもののようであるが有田繁雄は特に原告の思想や心境そのほか日常生活はいうにおよばず面接、通信、日記等によつて自殺の危険がない十分な証拠をつかみながらなおかかる措置を講ずるのは、死刑という刑罰がいかに残虐なものであるを物語るものであり、被告等が万一の場合に備えて腐心する醜態が窺い知れる。予防措置には安全係数というものがあり、更らに良識による判断が加味されなければならぬ。人間の社会には絶対的予防という概念はあり得ないし、考えてはならず特に対人的措置において人権の尊重を忘れてはならぬ。人間を鑑別する場合はそのいうところよりもむしろその行為によつて判断しなければならぬ。原告に科した死刑の宣告は刑事訴訟法的にもまたいかなる観点から検討しても不当であるが、しかしそれを暴力で攻撃したり自殺のような逃避的手段で抗議することの誤りを原告は十分認識している。右の措置は鉄の信念と崇高な人間精神の輝きによつて闘う原告の「絞首台からの叫び」を抑圧し死刑の残虐性を密封せんとするものにほかならぬ。

宗教的信仰にすがつて死におびえ、生に煩悶する一般の死刑囚の居房は整理箪笥や仏具などで飾り、小鳥まで入れてあるのに科学的世界観の信念をもつて闘う原告に対しては右のような自殺予防に名をかりて不愉快な措置を施し、狂暴な心理的挑発を行つている。

また、原告が前にいた第二舎は古い建物で監房の窓は背丈位の高さにあり、外を見るためには窓によじ上らねばならない。現在いる新しい建物の第五舎の監房の窓は床上約六〇センチに窓がある。

第二舎にいた昭和二八年頃は、窓によじ上つて外を見ることや隣房同志で朝夕の挨拶をかわすこともみとめられていたが、いつの間にか窓から外を見ると懲罰にされるところまで自由を奪われてきている。

原告は寸暇を惜しんで読書と書き物をし、なお時間の足らない思いをしている。そして、その間用便に立つたとき、疲れたときなどに、窓から外を眺めて新鮮な空気を吸い、気分の転換をはかる。何等悪いこととは思つていないので、職員の目をぬすんでするような姑息なことをしない。監視中の職員に見られ、注意されても、相手の立場もわかるので心中さげすむだけで無視することが多い。これを職員に反抗したとして懲罰にするのは野蛮というほかはない。小学校六年のとき朝日新聞社より健康優良児童として表彰されて以来原告は健康に恵まれ特に視力には自信があつた。大阪拘置所に拘禁された当時は一、二の視力があつたのに、昭和三一年三月一五日には〇、五と〇、六に落ちており、このほか、原告の読書の量及び記録の量から判断すれば拘禁生活をいかに過ごしているか、また一貫した信念のもとに闘い続ける原告の真摯な生活態度については被告も十分知つているにもかかわらず昭和三〇年一〇月一日窓へのぼつて職員に反抗したこと、頭をドアの方に向けて寝ておつて職員の注意をきかなかつたことの理由で軽屏禁一ケ月の懲罰にするとの言渡を受けたのである。原告の信念を暴力によつて砕き従順な奴隷的人間にしようとする被告の態度は卑劣極まるものというべきである。

請求の趣旨二九の請求をする。

一五、面接等の拒否

(一)  原告が、拘置所長に面接を要求するのは特別の場合である。というのは拘置所の処遇に関する問題は管理部長において処理できるし、有田繁雄は割合よく原告に応対してきた。しかし都合の悪い問題はすべて黙殺されており、それに対しても原告は覚書、抗議文で止めているが次のような場合は面接の必要がある。たとえば、昭和二九年五月二九日、所長の命令として原稿用紙の購入を停止する旨の通告を受け、その通告に当つた看守部長長谷川喬や教育課長、管理部長が理由を説明してくれないので、原告としては所長の見解をただす必要があつて面接を要求したのであるし、同年六月一五日には保安課長から不当な懲罰の言渡を受けたとき、拘置所外に救済をもとめる前に、一度所長の見解を問うべきが筋道と考え、面接を要求したのであつた。

昭和二九年八月一一日、原告は所長に対し再三願い出ている面接を督促したが何の沙汰もない。黙示の拒否である。また昭和三〇年一〇月以来の通信妨害について有田繁雄は原告を欺いてばかりおり、しかもそれは原告の死刑執行まで時間をかせぐ意図のように考えられるので昭和三一年三月一二日所長に面接を求めたが右同様黙示の拒否をうけている。これは、監獄法施行規則第九条に反する処置で、原告の人権を無視するものである。

原告は、各部署担当者に面接願、質問書、要望書を発し、意思の疎通をはかろうとするのであるが原告が通そうとする人間的パイプを通そうとしない。昭和三一年四月九日原告は被告に対し質問の回答を求めたが、被告はこれを拒否した。原告に面接し、その質問書に回答すれば、拘禁管理の不当や矛盾がバクロされるし、その要望を容れれば拘置所を民主化し、矛盾や不合理を徐々に改善しなければならぬ破目に陥るから、それを回避するために原告を隔離しあらゆる策略と敬遠策を講じている。奴隷的でなく、しかも拘置所にとつて目の上の瘤的存在である原告と被告等といずれが民主的で合理的かそしていずれが合法的でいずれが暴力的か明白である。被告等による拘禁管理は「人民の、人民のための、人民による政治」とは縁もゆかりもないものといわねばならぬ。裁判所に訴える手段をもたなかつたとすれば、原告もここまで闘いをおしすすめることは絶対に不可能であつた。かかる観点からみても現行民主憲法の存在は反動的政治に対する防壁ということができる。

原告を監視する職員は原告の人格、見識、その闘志に啓発され、平和攻勢をうけているので管理部長はその対策に苦慮している。下級職員は、辞職を覚悟しなければ、職務上のことでも十分意見を述べられないように組織されこのような伝統は根強く維持されており、収容者の意見を容れて誤りを改め、仕事を改善するには面子問題があつてかかる封建的意識が拘置所のすべての動きを動脈硬化状態に陥らしめている。

請求の趣旨三四の請求をする。

(二)  原告は、教育課長を職権濫用罪で告訴する旨を表示して昭和三〇年一月一四日被告に右教育課長の氏名を問い合わせたが教える必要がないとその氏名を教えることを拒否され、昭和三一年二月二日、担当看守の氏名を訴訟の申立書に記載する必要があつたので、その旨を明らかにして氏名を問い合わせたが、同様拒否された。前記、収容者遵守事項には「称呼番号札は常に着衣の左胸部に縫いつけておくこと」とあつて原告等在監者は番号札をつけており、また監獄法施行規則第三九条にいう番号札の裏には、罪名、氏名、犯数を記して監房の入口にかけてある。しかるに必要があつて職員の氏名を訊くと「いいたくないからいわない」「いう必要がないからいわない」などといつて教えてくれない。職員は原告等と交談することを禁じられ、特に職員の氏名やその移動を漏らすと、服務規定違反に問われるのであつて、このような規則によつて被告は部下を保護している。右のような被告等の態度は昔の天皇制官吏意識そのままであつて、憲法第一五条に違反するものである。

請求の趣旨三五の請求をする。

一六、物品の営利販売

大阪拘置所長の松本貞男がその支部長を兼任している矯正協会大阪支部は、大阪拘置所内において原告等に対し物品の営利販売をしてはならない義務があるのに、昭和二七年五月八日物品の営利販売をなした。よつて請求趣旨三六の請求をする。

一七、死刑執行の予告

被告は、死刑囚である原告に対し死刑執行の二四時間前に執行の予告をしなければならない義務があるのに、昭和三二年八月一六日原告が被告に対し死刑執行の予告をするように要求したところ同日被告は右要求を拒否する処分をした。請求趣旨三七の請求をする。

原告は以上のように述べた。

第三、本案前の被告の申立および答弁

「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、次のとおり述べた。

(1)  被告が原告に対してする各種の処分は、特別権力関係に基くものであり、行政訴訟の対象にならない。

公法上の権力関係には一般権力関係と特別権力関係とがある。一般権力関係は、国が一般行政目的を遂行するため私人に義務を課し、その権利、自由を制限する国と私人間の関係であつて、その内容は法規によつて規律される。一般権力関係に基いてなされる行政庁の処分に不服のある者は、裁判所に訴訟を提起することができる。これに対し特別権力関係は、国が特定の行政目的を遂行するため特別の地位にある私人に対し、強度の服従を要求しうるもので、公の勤務関係や営造物利用関係をその主要な例とする。その関係の成立には法律の根拠を要するが、特別権力関係が成立した以上は、国と当該私人との間には、特定の行政目的の実現を中心として、ある程度継続的かつ有機的な関係が成立し、その特別権力関係の性質によつて定まる一定の範囲内において私人は包括的な服従義務を負う。この場合、直接、権力を行使する行政庁の私人に対する下命行為は、一般的なかたちでなされるときは行政規則として、そうでないときは個別的、具体的な下命行為としてあらわれる。しかし、その下命行為は法規によるものではなく、行政庁の合目的的な裁量に委されているから、その処分の当否につき法規による評価ということはありえない。

従つて右処分は、法の定める場合のほか、裁判所の審判に服せず、かような処分を訴訟物として提起した訴は不適法といわなければならない。

原告は、その主張するとおり、強盗致死被告事件の被告人として昭和二七年五月八日以来刑事訴訟法の規定により大阪拘置所に拘禁され昭和三〇年一二月一六日上告棄却の判決により、以後死刑の言渡を受けた者として引き続き同所に拘禁され今日に至つているもので、同拘置所は、監獄法により刑事被告人その他法令により拘禁されるものを収容する公の営造物(拘置監)であるから、同拘置所の長たる被告と原告との間には、営造物(拘置監)利用の特別権力関係が成立している。従つて、被告は、右の拘禁目的を達する意味において、証拠湮滅、逃走、自己殺傷の防止のため隔離、拘置、監視などの処置をし、拘置所の存立、活動を保持する必要上、所内の安全、秩序、紀律の保持、業務の円滑な運営を確保するための各種の処置をする権限があり、原告はこれらの処置に服さなければならない。原告に対してその生存のための便宜が供与されることは当然であるが、拘置所の人的、物的な制約から生存のための便宜を無制限に享受できずある程度の制限を忍ばねばならぬことも当然である。

原告の主張する各処分は、被告が前記のような特別権力関係に基いてしたものであるが、以下具体的に各処分の理由を説明する。

(イ)  信書の検閲

被告は在監者の発受する信書についてすべて検閲している。外部との連絡による逃走、証拠湮滅等の事故を未然に防止するとともに、拘置所の秩序と安全を維持するためである。右の目的に照らし不当な通信であれば、これは、これを書き改めるよう勧告し、または抹消するのは、検閲の結果にともなう当然の措置である。例をあげると、原告が、昭和二九年四月一五日戒能通孝に宛て、「刑事被告人の声」と題する文書を添え、稿料を得たい旨の通信をしようとしたが、右文書の内容が管理上極めて不穏当なものであつたから、書き改めるよう原告に勧告し、信書とともに原告に返した。原告の昭和三〇年一月一三日付国際新聞社宛通信の内容は、拘置所の秩序と安全を害するおそれがあつたので抹消した。同年二月一六日大阪拘置所に在監の刑事被告人盧承達の原告宛信書は、その一部がさきに原告から同人に宛てた通信を被告が抹消したことにふれたもので、原告をいたずらに刺戟することを避けるため、右部分を抹消した。

(ロ)  筆記用紙具の制限

ノート、原稿用紙、美濃罫紙の使用を制限するのは通謀等の事故を防ぎ、検閲を容易ならしめるためである。ノートについては、あらかじめ使用上の注意をしたうえ、その注意の遵守を誓約させることにしているが、原告は頑強に誓約を拒み、事故なきを保し難いので、昭和二九年九月三日原告にノートの使用を許さなかつた。同年五月二九日原告に原稿用紙の使用を許可しなかつた理由は、かつて原告が原稿用紙を獄内闘争のため使用したり、外部に向つて拘置所の管理をことさら非難する文書を発表する目的に使用したからである。美濃罫紙はその用途が限定されていて一般の在監者に必要不可欠のものではないから、一般にその使用を許していない。しかし訴訟用等のため特に必要とするものにはその目的に応じ使用を許している。原告に対し美濃罫紙の使用を制限したのは、前記理由のほか、特にこれによつて強力なコヨリの作成が可能であり、直接逃走の目的に使用できるので厳重に取り扱つたのである。

昭和二九年一〇月一八日原告に対し、ノートの差入を許さなかつたこと及び万年筆、赤色鉛筆、赤色インキ、消ゴム、ペン先等筆記具の差入を許さないのは、事故を防ぎ、拘置所の安全を保持するためのほか、拘置所の人的物的能力の制約に基く。とりわけノートは焙り出し等の方法で外部との連絡が可能であり、万年筆は、その構造上検査が困難であり、ペン先はそれ自体自他殺傷の具となりうるからである。また赤色鉛筆等は特に必要なものではない。

(ハ)  書籍・新聞、雑誌の制限

拘置所では、通謀、逃走、自他殺傷等の事故を防ぐため、毎日監房検査を行つている。書籍は、一般に逃走用器具(金切鋸)等の隠匿場所として利用され易いし、通謀のため使用することも考えられるので、監房内において書籍の所持を無制限に許すと、その検査を著しく困難ならしめるので、通常の必要度も考え、監房内において同時に所持しうる書籍を五冊に制限しているが、交換は自由であり、実質上その閲読冊数を制限しているものではない。

原告の閲読する朝日新聞(昭和二八年一〇月一三日から同二九年四月三〇日まで)、週刊朝日(同三〇年一月三〇日号)、週刊サンケイ(同年五月一日号)の記事の一部を抹消したのは、それが犯罪記事であつて、収容者を刺戟し、破壊的意思を助長するおそれがあつたので、拘置所の秩序と規律を維持するための措置である。また新聞を発行所または販売店から継続的に購入することを許さないのは、前段の書籍に関する制限と同じ理由のほか在監者の金銭はすべて拘置所の会計官吏が保管しているが、多人数の、しかも移動のはげしい在監者に新聞の購読を自由に許すと金銭取扱の上からも検閲のためにも、拘置所の能力からみて事務上極めて困難である。そのため昭和三〇年一〇月一日原告に国際新聞の購読を許さなかつた。

被告が昭和二九年六月一五日原告を軽屏禁一ケ月の処分に付しその間文書図画の閲読を許さなかつたのは監獄法第五九条、第六〇条による懲罰としてこれを行つた。

すなわち、原告が大阪矯正管区長に訴願するため、用紙の交付方を申し出たので、残部は返納するよう命じて特にザラ紙八〇枚と西洋紙一五枚を与えたのであるが、長谷川喬が原告にその残りのザラ紙二〇枚と西洋紙一五枚の返納を命じたところ、原告はザラ紙一八枚を返納したのみで、他を返納せず破り棄て、悪口をくり返し、監房の扉をけるなどの乱暴をしたので前記懲罰に付した。しかし、軽屏禁については、原告の健康状態を考慮し、執行を延期した。

(ニ)  記録ずみのノートの使用制限、手紙、公文書の領置。原告に対し昭和二九年八月一三日監房内において、同時に所持しうる記録ずみノートを四冊に制限したのは、前記(ハ)に述べた書籍の所持を制限した理由と同一である。しかし自由に交換できるから、実質上閲読を制限するものではない。

昭和三〇年五月六日原告の所持する手紙類、公文書を領置したのは事故を防ぎ、監房内の整頓、清潔を保つためのである。

(ホ)  ラジオ放送

在監者に対するラジオ放送は、被告がみずから選択または編集した番組を時間を限り放送している。内容は、ニユース、時事論説、一般教養、娯楽等であるが、拘置所の秩序と安全に害のない範囲で、在監者の社会常識、情操、教養を育成、助長し、慰安を与えることを目的とする。従つて在監者個々の特殊な要求に応じた放送をすることはできないし、監房にはスピーカーを設備し、外部にスイツチを設けてあるから、在監者が特定の番組の放送の聴取を欲しないときは、看守に連絡してスイツチを切り放送を聞かないこともできる。その意に反して放送を聴取させることはない。原告の場合も同様である。

(ヘ)  給与、日常の起居動作の監視、拘束

原告は昭和二七年一二月二三日から健康上の理由で特に主食を一等、増食され、同二八年一月一二日から肺浸潤のため特別菜を給与されていたが、同二九年一〇月一三日医官の診断により右疾病は快癒し健康が回復したものと認められたので、翌一四日より右の特別給与を停止した。

「原告に対しては監獄法第三四条、同法施行規則第九四条所定の糧食を給している。

刑事被告人に対する理髪は、有料のものは別として、無料理髪については原則として月一回の散髪と、月二回のひげそりをしている。また自弁しない限り在監者に石鹸、歯刷子、塵紙などを無料で支給し、タオルは貸与している。原告も同様で、原告に以上の給与を拒んだことはない。

刑事被告人が、独居房に隔離されるのは当然の措置である。ことに原告は、昭和二八年五月一二日大阪拘置所独居四舎の階下に拘禁されていた際、一部在監者が同所内の金網工事に反対し、工事中の人夫(受刑者)に水をかけるなどの乱暴をしたとき、檄文を回覧したり、被告に対する抗議文を運動場で他の在監者に見せてこれらを煽動し、不法な力を結集して右工事に反対しようとしたので、被告は拘置所の安全と秩序を維持する必要から、原告を五舎階上の独居房に移した。

なお原告には拘置所内病舎の北側空地で運動をさせていたのであるが、職員の制止にかかわらず運動場に面した監房の収容者と交談するので、被告は昭和三〇年九月一日これを避けるため原告に対し拘置所内死刑執行場前で運動するように指示した。

昭和三〇年一〇月一日から一ケ月間原告の運動と入浴を許さなかつたのは、原告の紀律違反による軽屏禁一ケ月の懲罰による措置である。

被告が在監者の日常の起居、動作を規整するのは、多数ある在監者の動静の把握を容易にして、事故を防止して拘禁の目的を達することと業務の円滑な運営を図るためである。このため在監者に対しては午後八時以後午前六時三〇分までの就寝時間は、起きて学習その他の動作をすることは訴訟準備など特に必要と認めて許可したほか許さず、就寝時間以外横臥することも、病気など特別の理由がなければ許していない。また在監者の自殺、逃走等の事故を末然に防止するため、その起居、動作について常に監視を怠ることができないし、監視に便宜なように監房を改造することもある。監房内を常に容易に視察しうるように扉に視察口を設けてあるが、在監者が就寝する際、頭を扉に向けていると、視察口からその上半身が見えず、監視の目的が達せられない。このため原告に対しても就寝のときの頭の位置を指定しているが、原告は、この命令に服さず、いたずらに抗争している。

昭和三〇年一〇月一日原告のいる監房の窓ガラスを金網にとりかえたのは、原告が、監視上適当な位置で起居することを肯んじないのでした措置である。

監房内で、夏季以外は裸になることを禁じているのは、拘置所内における紀律を保つためで、水を自由に使用させないのは、監房内の汚損を防ぐためである。視察口、食器口を必要の時以外開放すると、監房内から廊下の人の気配をうかゞうことができ、通謀や逃走に便宜を与えることになるので一般にその開放を禁じている。しかし、夏季一定期間はその開放を許している。

原告に対し昭和三一年二月一八日蒲団を座蒲団代りに使用することを禁止したのは、備品の保存と、監房内の整頓、清潔を保つためである。拘置所内(監房外)では逃走、自殺、暴行などの事故を防ぐため手錠を用いている。原告に対しても同様である。

次に、監房検査の目的はさきに述べたとおりであるが、その検査の方法は在監者に分らないようにしてする必要もあり、在監者に立会を許していない。

以上のように、被告は、原告との間に成立している営造物利用の特別権力関係に基いて、各処遇をしているもので、被告のした処分は、原告を拘禁する目的を達成するに必要なもの、ないしは拘置所の存立、活動を保持するための措置であり、その範囲を逸脱した点もないから、原告の本訴取消ないし無効確認請求は、がんらい裁判所の審判に服することのない事項を訴訟物とするものというべく、原告の請求は、不適法として却下すべきである。

(2)  次に、裁判所は、憲法に定める三権分立の建前から、法の具体的適用を保障するという限定的、消極的な機能を有するに止まり、行政庁に対して一定の作為または不作為を命ずることは許されない。従つて、本訴中被告に対し一定の作為、不作為を求める部分は、不適法である。

(3)  また被告が昭和三〇年一月一五日原告の発した通信及び同年二月一六日原告の受信した通信を抹消した処分、同二九年六月一五日原告に対し文書図画の閲読を一ケ月間禁止し、同年八月一一日原告に対し面接を拒んだ処分などすでに当時その処分が終り、過去に属する事実についてはその取消を求める利益はないから、右部分も不適法であり、却下を免れない。

(4)  原告は被告に対し、各種の監獄管理上の自己に不利益な処遇につき作為または不作為義務の確認を求めるが、一般にこの種の義務確認訴訟は被告に公法上の作為または不作為を命ずる裁判と同様の結果を得んとするものであるから許されないと考える。殊に原告の求めんとするのは将来の抽象的な義務に属し、具体的な被告の措置が予測できないものであるから、いまだ具体的な争訟の域に達しない事前の段階に属し、裁判の対象とはなり得ない。従つて訴の却下を免れないものである。

第四、本案に対する被告の申立および答弁

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

(1)  通信の妨害等について。

請求趣旨二ないし五の請求原因事実、八のうち文書を綴じかえた部分に関する請求原因事実は認めるが、請求趣旨一、六、七の各処分および八のうち検察官宛供述書の送達を拒否した部分に関する請求原因事実は否認する。もつとも被告は管理上から原告の発受する信書をすべて検閲しているが、原告の通信の秘密を侵したり、信書の発送を妨害した事実はない。

昭和二八年五月九日付人権擁護局および同日付大阪自由人権協会宛通信の内容の要旨は、いずれも当時原告が獄内斗争を行つていた監房の窓に金網を取りつける工事の不当を訴えるものであつたので、被告は発送の方法につき大阪矯正管区と協議のうえ右文書記載事項に対する誤解を避けるため、被告の見解を添書してこれを発送することとしその準備中、同年六月一〇日原告から返還を求められたので、そのままこれを返戻し、その後原告が破り棄てたものであつて、原告の主張するように発信を止めたものではない。昭和二九年五月四日付清水幾太郎宛通信の内容は、大阪拘置所の事情を知らない第三者がこれを読んだ場合に、同拘置所の実体の認識を誤る虞があると考え、同月七日原告に対し右の点を書き改めて出すように勧告し、発信を思い止まらせて、原告の同意を得てこれを返戻したものであり、発信を止めたものではない。

昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信の内容は、原告が購読料金一八〇円を添え、新聞の購読を申し込もうとしたものであつたので、被告は原告に対して、新聞の購読は許されていない旨を伝え、右通信を原告に返戻しようとしたところ、原告はこの通信を発送することと新聞購読の許可、不許可とは別個の問題であるとして当初は発信を思い止まらなかつたが、原告に対して重ねて、法令上明らかに許されていない新聞の購読を申し込みその上に当時原告の領置金が僅かに二〇〇円に過ぎないのにその大部分を無駄にすることは賢明でない旨説示し、発信を思い止まらせ、原告の同意を得て同月一三日右通信を返戻している。

昭和三〇年七月一九日付盧承達、同日付崔南植および同日付閔載寔宛各通信はいずれも、本件請求の趣旨、原因ならびに被告の答弁書の写を第五種郵便として発送しようとしたものおよび前記文書を別便で送付したことの証人となつて貰いたい旨を記載した葉書であつて、前記第五種郵便物には添書もなく、文書の性質上原告の信書とは認め難い単なる書類の写であるから、在監中の各名宛人への差入文書と解され、またその内容が訴訟に関するものであるとはいえ原告と被告間の処遇上の紛争が明らかにされているから、その結果常に被告の管理についてことごとに抗争的であつた受信人の斗争意欲を刺戟し、ついには不法斗争にまで同人等を駆り立て無用の摩擦を生じさせる虞があると考えたため、監獄法施行規則第一四二条により管理上有害な文書と認めてこれを原告に返戻した。

また右葉書は、これをそのまま各名宛人に発送すると前記文書の差入れを許さなかつたことについて疑惑を抱かせ、いたずらに反抗心を助長し、ひいては不法な抗争を誘発することが憂慮されたので、前記内容の大部分を管理上有害なものとして抹消して発送した。

昭和二九年五月一三日弁護士村本一男に手渡して貰いたい旨の申出を受けて手渡す手続をとらなかつた文書は、刑事被告事件の上申書と、戒能通孝、清水幾太郎宛書簡であつたが、右書簡には、同弁護士に投函を依頼した符箋がつけられてあつたところから、検閲を免れるため弁護士を介して発信しようとする意図があると認めたので、右五月一三日大阪拘置所を訪れた村本弁護士に対し、右書簡を示して事情を説明し、同弁護士の了解を得たうえ、被告から原告に対し右書簡はいずれも一般通信として取り扱うべきものであるから監獄法で定められているところにより発信するように指示し、原告の同意を得たうえ返戻したものである。

(2)  筆記用紙具の制限について。

請求趣旨九、一〇の各処分に関する請求原因事実は認める。

(3)  書籍、新聞、雑誌の制限について。

請求趣旨一一ないし一四の各処分に関する請求原因事実は認める。

「絞首台からの叫び」の閲読を許さなかつたのは、同書は昭和二五年一二月頃労農救援会大阪本部から寄贈された官本であるが、被告が在監者に貸与すべく備付中の図書のうちには、破損の甚しいものや、内容に再検討を要するものがあつたので、これらを整理するため昭和三〇年二月二六日貸出中のものを全部回収したが、その際たまたま右書籍が原告に貸し出されていたので、一般と同様これを回収したものである。右書籍には刑務所内における拷問の情景、死刑執行の情景を叙述した部分があり、かつ政治犯として収容された者の刑務所内での抵抗行動を英雄的行為として賞讃する筆致で叙述されていて、通常の刑法犯の在監者も本書の趣旨を誤り解して誤つたヒロイズム感より拘置所職員に対し無用の抵抗をなし、ひいては獄内斗争を煽動する虞があると考えたからである。このような図書をあえて拘置所備付の官本として被告より進んで収容者に閲読させるには不適当であるから貸出図書から除外し、爾後貸出はしないこととしたものである。

「死と壁」の閲読を許さなかつたのは、同書はもと大阪拘置所長玉井策郎の著書で、同人の見聞した同拘置所に収容されていた死刑囚(そのうち幾人かは原告も知つていよう)の在監中の各種の事故、外部との通謀状況等の記載があり、管理上好ましくなく、また犯罪事実の凄惨な情景や、拘置所内における生活殊に死に直面する煩悶および死刑執行の場面等について詳述しているので、死刑確定者にとつてはあまりにも刺戟的で、その心理状況に悪影響を及ぼし事故の原因となり、管理上有害かつ教育上穏当を欠くとの見解に基く。

(4)  記録ずみノートの使用制限について。

請求趣旨一五の処分に関する請求原因事実は認める。

(5)  手紙、公文書の領置について。

請求趣旨一六の処分に関する請求原因事実は認める。たゞし原告は必要の場合、申し出ればその閲読をすることができるものである。

(6)  ラジオ放送について。

被告が原告に対し被告の選択したラジオ放送のみを聴取させていることは認めるがかかるラジオ放送の選択は被告が管理上の必要から考慮して実施している。

請求趣旨一八の処分に関する請求原因事実は認める。

(7)  宗教活動について。

請求趣旨一九および二〇の請求原因事実は否認する。たゞし右二〇については原告の主張どおり各教誨師が原告の居房を訪問したことは認める。

(8)  給養等について。

請求趣旨二一、二二の請求原因事実二三のうち請願用紙、訴訟用紙の給与を拒否した部分および三二のうち運動、入浴を禁止した部分に関する請求原因事実は認める。

請求趣旨二三および三二の各その余の部分に関する請求原因事実は否認する。被告が原告に対し右用紙の給与を拒否したのは原告が一時に多量の要求をしたからであり、また被告が無料理髪を停止したのではなく被告が管理上から原告に対し理髪室で理髪することを許さず、廊下ですることを認めたところ、原告において理髪を拒んだのである。

(9)  差別的隔離について。

請求趣旨二四および二五の各処分に関する請求原因事実は認める。たゞし原告に対し特別に不利益な待遇をしたものではなく、原告に対する運動場としては現在のところ刑場前以外に適当な場所はない。

(10)  日常の起居の拘束その他について。

請求趣旨二六の請求原因事実は否認する。原告は必要な場合申し出れば学習等をすることができる。

請求趣旨二七、二八、三〇ないし三二の各請求原因事実は認める。請求趣旨二九の請求原因事実は認めるが、原告の主張するように監獄を故意に暗くしたものではない。

(11)  面接等の拒否について。

請求趣旨三四の請求原因事実は否認する。たゞし必要と認めたとき面接または回答を拒否したことはある。

請求趣旨三五の請求原因事実は認める。

(12)  物品の営利販売について。

請求趣旨三六の請求原因の事実は否認する。

(13)  死刑執行の予告について。

請求趣旨三七の請求原因事実は認める。

以上の被告のした処分は、いずれも第三記載のとおり、監獄法、同法施行規則または監獄管理権に基いてしたものであつて、適法であり、これによつて原告の権利を侵害していないから、原告の本訴請求は失当である。

第五、被告の答弁に対する原告の陳述

一、原告と被告との間に特別権力関係が存在することは明らかであるが、特別権力による行為について、当該特別権力関係内部において認められている手段によるほかは、法律の特別の定めのない以上出訴できないと解するのは、不当な解釈というべきである。

たとえば、原告の発信を拒否、隠匿、抹消したり、表現の自由を奪う目的で原稿用紙等の使用を禁止したり、さらに検閲に藉口して通信を長期間留置するなどの被告の行為は、特別権力関係を理由に、原告の市民として憲法上の権利を剥奪するものであり、また監獄法をも無視しているものである。右の被告の行為は監獄管理という特別権力関係の目的達成に必要な措置ではなくて、専ら憲法を無視し、人権蹂躙をほしいままにして、監獄の秩序を維持し、因襲的な監獄職員を保護するものであり、人道上からいつても許せないものである。原告は、右特別権力関係の目的達成に自主的に協力してきたし、現在少しも右の目的に牴触することをしていないにも拘らず、被告は原告に対して狂暴な弾圧を加えているものである。

被告は、特別権力関係にあることを根拠にして、法律に基くことなく必要な規則を定めまた個々の具体的な命令もしくは強制をなすことができる旨主張するが、実際では被告の行為は監獄法令を曲解してなされている。監獄法施行規則第八六条第二項に拘らず原告に切抜新聞や雑誌「世界」等の閲読を許しているのは右曲解に基く唯一の進歩的措置で、その他は専制的な支配が行われている。

二、被告は、被告の原告に対する処遇上の命令もしくは強制作用は、行政訴訟の対象となる行政処分に該当しない旨主張するが、被告が行政権に基き優越的地位において公権力の発動としてなす行為は一般に権力行為と解すべきであり、そして右権力行為は行政訴訟の対象となる行政処分に該ると考えるのが通常の解釈であろう。

もつとも行政権のいわゆる自由裁量に属する事項は、一般に裁判権の及ばないものとされているが、右裁量を逸脱している場合には、当然に裁判所は審理をなすべきである。そして裁量権の行使がその限界を越えるかどうかは審理して始めて明らかになるものであるから、右裁量権を逸脱していることを理由としている本訴請求に対しては、裁判所は審理をしなければならない。

三、被告は、裁判所が行政庁に作為もしくは不作為を命ずることができない旨主張するが、特別権力関係内の被告の行為も法規に基いて発動されるべきものであるから、原告は被告に対して作為もしくは不作為の請求権をもつというべきである。なかんずく原告が本訴で請求する作為もしくは不作為は、新たな行為ではなくて、本訴審理の結果において被告の処分が違法と認められる場合にこの判断の過程で被告の作為もしくは不作為義務を確定することになるので、形式的には監督的命令的裁判に見えても、実質的には事後的審査であり、事前の統制と本質的な差異があるから、三権分立の建前に反するものではない。

四、被告は、消滅した行為の取消を求める訴はもはや実益を欠く旨主張するが、原告と被告との間の法律関係は被告の行為によつて初めて形成されるというよりむしろ監獄法令等によつて予め関係づけられているものであるから、原告の本訴請求が確定すれば、かかる行為は適法なものと取り扱えなくなり、従つて被告が再び斯様な行為を繰り返すことができなくなり、原告の不安は除去されるというべく、故に本訴を提起する法律上の利益は存在しているわけである。

たとえば、懲罰権の発動について監獄法第五九条に「在監者ハ紀律ニ違ヒタルトキハ懲罰ニ処ス」、同法第六〇条第一項第四号に「文書、図画閲読ノ三日以内ノ禁止」、同項第一一号に「二月以内ノ軽屏禁」等とあり、それ以外の措置はすべて被告の裁量に委ねられている。それ故原告の告訴に対する報復措置として懲罰権が発動された場合、かかる違法処分について法務大臣に対する請願を経て出訴をしてもその時は既に懲罰の執行を完了していることになるから、もし右被告の主張を容認することになれば、原告としてかかる違法行為の審査ないし救済をはかることはできないであろう。

原告は以上のように述べた。

第六証拠〈省略〉

理由

第一、問題の所在の判断の順序

請求の趣旨として原告の挙示するものは多種多岐にわたつている。訴の対象を事項的にみれば、それは大阪拘置所在監の原告に対して被告がしたという昭和二八年五月八日以来最近に至るまでの間の拘置関係のほとんど全般、すなわち拘禁、戒護、教誨、教養、給養、運動、接見、信書、領置その他に直接間接に関係のある凡百の管理行為および処遇についての不服を、新憲法の条章に依拠して訴えるものであり、しかも、それは、いわゆる法律行為的行政行為もしくは準法律行為的行政行為と認められるのみにとどまらず、一見事実行為と目すべきもの(その中には全く単純な事実行為を対象としていると認めざるを得ないもののほかに、事実行為に先行していると解すべき行政処分を対象としていると認めるのを相当とするものとがある)をも含んでいる。訴の種類形態としては、以上の全部について、まず個々の処分、処遇の無効確認を求め、予備的にその取消を求めるほか、その大部分について、作為もしくは不作為の義務確認を求め(請求趣旨六、一〇、一三ないし一六、一八、二〇、二一、二三、二八ないし三一を除いたその余の各(三)項)、なお作為もしくは不作為の給付請求(請求趣旨二〇、二一を除いたその余について)に及んでいるのである。これをむかえて被告は、本案前において、本訴の不適法を主張する。すなわち被告のした各種の処分は特別権力関係に基くものであり、全面的に、裁判上の救済の対象になり得ないものである。なお若干の請求は事実行為の確認であり、取消であり、かような訴訟は許されない。また行政庁に対する作為不作為の義務確認請求と作為不作為の給付請求は三権分立の建前からいつて不適法であると主張する。そうして本案については、被告のした各処分の合憲にして適法かつ妥当であり、本訴の失当なることを強調しているのである。

思うに、本訴はすべて行政訴訟として司法上の救済を求めるものと理解されるが、一般の行政事件に比し、被告は行政庁とはいいながら、刑罰および令状の執行としての拘禁にあたるものであり、原告は、死刑囚として拘禁を受けているものであつて、当事者の点において特異な色彩があるとともに、そのことのゆえに、訴訟事項にも特殊性が極めて顕著にあらわれ、一般の社会とはかけはなれた、恐らく、一般通常人には無縁なものであると考えられる事柄に限られているわけである。そして本訴の実質すなわち中心的、根本的争点を形成していると認められるものは、新憲法が、その保障と尊重を謌つた其本的人権と一般にその制限的契機としての公共の福祉の問題を、どう考えるかの問題であり、拘禁の場、すなわち監獄という閉ざされた小社会において、この二つは一体どのように相剋し、その調和はどこに求めらるべきかの問題であると理解される。新憲法の制定実施に伴つて、監獄法が大きく転換し、あるいはこれに適当な改正が施され、その法律による、もしくは法を乗り越えて新憲法に直結した強力な行政措置による、監獄の管理運営がなされていたとすれば、本訴の問題の解決は、比較的に容易であつたろうし、いや、本訴は、あるいはその提起を見ずに終つたのかも知れないと考えられないでもないのであるが、現実には法の改正の動きは見られるものの、新法の実現までにはいまだに遠く、部分的改正ですらなされておらず、現存するものは、明治四一年に制定され、以後半世紀の年月の経過にもかかわらず、いうべきほどの改正も加えられていない監獄法とその施行規則であるところに問題があり、それが現行法であることが、新憲法の線に近づこうと努力する行政措置をすつきりしない中途はんぱなものにし、問題の解決を、かえつて困難かつ徴妙にしているもののごとくに思われる点さえ幾つかあるのである。それに、未決拘禁者と既決囚とは、本来全く性質を異にし、両者は判然区別さるべきであるのに、監獄法は、両者の差異を重視せず、同一の平面において両者を取り扱い、前者を後者と別異に規定することの少ないことにも問題があるし、さらに、死刑囚を、単純に刑事被告人に準ずべきものとする(監獄法第九条)安易な態度も問題とされなければならない。

本訴の事実関係について、原被告間の主張には不一致の部分が相対的に少ないことは、いろいろな意味において幸いというべきであるが、事実関係に争いがある場合であつても、ない場合であつても、法律上の見解としての合憲性や違法の有無の主張においては両者は鋭い対立を見せている。

そこで、判断および叙述の順序であるが、被告の本案前の抗弁の一つが、本訴の当事者および訴訟事項に特色を与えている拘禁における原告の法律上の地位(公法上の特別権力関係)につらなつているので、これについての判断を次の第二においてするのが、便宜かつ適当と考える。次に第三において、原告の特殊な身分(死刑囚)についての考察を試みたのち、第四において、無効確認と取消請求について、各事項別に、権利保護の資格と利益の検討を加え、第五において、その適法性を具備するものの、実体上の請求の当否を判断する。第六には、義務確認請求について、個々的に訴の適否ならびに請求の当否を検討し、最後の第七において、作為不作為の請求の適否に触れることにする。

第二、本訴と公法上の特別権力関係との関連について

被告は「被告の原告に対する本件各行為は、いずれも特別権力関係に基いてなされた司法救済の求められないものであるから、本訴請求はいずれも不適法である。」と主張する。

原告は強盗致死被告事件の被告人として勾留され、昭和二六年一二月一九日神戸地方裁判所で死刑の判決を受けて、大阪高等裁判所に控訴するに伴い、昭和二七年五月八日以来大阪拘置所に拘禁されることになり、昭和三〇年二月一九日大阪高等裁判所で控訴棄却の判決、同年一二月一六日最高裁判所で上告棄却の判決を受けたのちは、死刑の言渡を受けた者として引き続き今日まで同拘置所に拘禁されているものである。このことは当事者間に争いがない。一方同拘置所は監獄法第一条第一項第四号の拘置監、すなわち刑事被告人、拘禁許可状、仮拘禁許可状または拘禁状により監獄に拘禁した者、引致状により監獄に留置した者および死刑の言渡を受けた者を拘禁する所として、国が設置し、(法務省設置法第一三条の三、刑務所少年刑務所及び拘置所の組織規程)、必要な職員と適当な物的施設とを有するその総合体であり、国の意思によつて支配され運営される営造物である。従つて、同営造物の主体である国(行政庁たる被告ではない)と、同営造物に刑事被告人として、次で死刑の言渡を受けた者として拘禁されている原告との間には、拘置監収容という営造物使用関係がみられる。そして拘置監という営造物の管理運営を司る拘置所長たる被告と、その収容者たる原告との間には、拘禁という特定の設定目的に必要な範囲と限度において、被告が原告を包括的に支配し、原告は被告に包括的に服従すべきことを内容とする関係、いわゆる公法上の特別権力関係が成立していることは疑いがない。

一般に、公法上の特別権力関係は、特別の法律関係に基いて成立する関係であり、設定目的のために必要な限度において、法治主義の原理の適用が排除され、営造物を管理する者は、管理権に基いて、個々の具体的な法律の根拠なしに、包括的な支配権の発動として、命令、強制をなし得るものであると説かれている、しかし、このことが拘置監関係その他の監獄収容関係にもそのまゝ妥当し、管理者は収容者に対し、拘禁目的のために必要な限度と範囲において、具体的な法律の根拠なしに命令強制を行い得ると速断することは許されない。なんとなれば、監獄収容関係は法律によつてのみ成立するものであつて、収容者にとつては全く害悪と屈辱の場であり、この関係と場の設定は有用であるけれども、それがもたらす効用ないし利益はもつぱら一般社会にのみあつて、収容者にはなく、この点において公立学校における勉学関係、公務員としての勤務関係、公立病院等の入院関係その他の公法上の特別権力関係が、当該私人に利益を与えつつ公の目的を果しているのとは、全然趣を異にしているものがあるからである。

刑事被告人の拘禁関係は、被告人が定つた住居を有しないとき、被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき、被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき、発せられる勾留状の執行によつて生ずる強制力行使関係であり、死刑の言渡を受けた者の拘禁関係は、刑事被告人としての拘禁に引き続いた、もしくは収監状の執行によつて生ずるところの、死刑確定者に対する死刑の執行のため、その執行を果すまでの強制力行使関係である。いずれも拘置監という堅固に作られた物的施設関係と必要な威力を行使する人的配備関係のもとに、収容者の身体の自由を拘束して、事実上に自由な活動をなし得ないようにする継続的行為であつて、何人も法律の定める手続によらなければ自由を奪われない(憲法第三一条)し、何人も正当な理由がなければ拘禁されない(憲法第三四条)から、拘禁関係は法律によつてのみ成立する関係である(勾留につき刑事訴訟法第六〇条以下、死刑の言渡を受けた者につき刑法第一一条刑事訴訟法第四八四条以下)。拘禁関係が任意に成立することはないし、従つて、拘禁者又は被拘禁者が任意に拘禁関係を排除離脱することも許されない。

一般に営造物の行政的管理は命令の形式でできるが、使用の強制と自由権の制限は法律をもつてしなければならない。監獄関係はその最たるものであることは多言を要しないであろう。

監獄は、設置目的に従つて、権力行使に属する行為をなすことによつて、国のために公用を果すことを主たる任務とするものであり、その任務を行うことによつて収容者に利益を与えることはない。収容者に特別の苦痛(自由刑が教育刑として執行されねばならぬこととは別問題である)を与えることによつて国の公の目的、すなわち刑罰制度およびこれに伴う諸制度の維持に寄与し、一般社会の公共の福祉の保護の要請に応えようとするものである。これがため、被拘禁者が身体の自由を拘束されるのはやむをえないところであるが、拘禁が法律に基いて容認された以上、被拘禁者のすべての人権の制限は当然それに包括され、具体的の法律の根拠なしに人権の侵害が許されると考うべき理はない。それは人権を保障し尊重する憲法の精神に照し、絶対に容認できないことといわなければならない。身体の自由以外の権利に侵害を加えることは決して拘禁の目的とするところではないのであるが、拘禁の目的を達する必要上、必然的に制限せざるを得ない限度において、基本的人権が、拘禁に伴つて制約を受けることはやむをえないところと解すべく、また、それとともに、法律によるその制限も、設定目的に照して必要最小限度の合理的制限のほかは認められるべきでない。

拘禁は監獄の生命であり、受刑者に対する教化矯正のことを別とすれば、監獄の主たる任務は、保安処分たる戒護である。戒護の目的は、外部との自由な交通を遮断し、隔離作用の充実を期するとともに、逃走、暴行殺傷を予防し、構内および房内の紀律維持を図るにある。一般の営造物権力においても、内部の紀律維持権が与えられているが、監獄においては、それは集団生活が行われるための欠くべからざるものとされ、監獄の本質につながつているのである。従順、静粛、衛生、清潔、融和は、監獄という一小社会の秩序と紀律であり、収容者はこの社会の一員であるから、この秩序と紀律に従わせなければならない。拘禁と戒護の面において、監獄行政は最良にして最高度に、技術的、合目的的、かつ自主的であらねばならない。もつとも法律は、人権に触れることが多いところから、重要な若干につき規定し、その他を監獄当局に委ねているが、法律のわく内と委ねられた範囲では、被告の自由裁量行為が行われるものであることはもちろんである。

かようにみてくると、原告と被告の関係が特別権力関係に包摂されるからといつて、右特別権力関係に基く支配行為は絶対的なもので、これに対して司法救済の途がないということはできない。ただ前述のとおり法律による規制を必要としないような右営造物設定の目的から要請される範囲内の特別権力による裁量行為に対しては、特別権力関係の内部において認められた手段によるほか法律に特別の規定のない限り司法救済の途はないというべきであるが、特別権力に基く行為も、法律の規制に違反し、また右存立目的から合理的に不可欠と考えられる範囲を逸脱し、社会観念上著しく妥当を欠いている場合、要するに違法に人民の基本的人権を侵害するがごとき場合には、司法救済を求めることができるというべきである。換言すれば、拘置監という小社会の収容者は、「公共の福祉」保護の要請から設けられた監獄法その他の刑事法を根拠として拘置監に拘禁され、拘禁の目的に服する範囲で必然的に人権の収縮された保障を余儀なくされ(憲法第一一条、第一三条。右法文の体裁は「国民」の権利義務となつているが、基本的人権の享有は必ずしも日本の国民に限られることなく、法律によつて差別を設けることが合理的だと認められる場合のほかは外国人にも等しく及ぼされるべきである)、その収縮につき法律に規定されている限度ないし右管理機関である被告に裁量の認められている限度では、違法の問題は起らないが、その限度を超える場合には違法の問題を生じ、司法救済を求めることができるのである。

しかしてかかる右措置のうち人権の制限に触れるものは、人権の尊重を基本的立場としている現行憲法のもとにおいては、あくまでも必要最小限度のものにとどめなければならず(監獄は人権が最も収縮されているところといえるから、人権保障の精神に立つ憲法の運用はかえつて、最も峻厳でなければならないとさえいえよう。)とりわけ現行の監獄法は、明治四一年に実施されたもので、当時においては囚人のマグナ・カルタとして、その優秀性と進歩性をたたえられたものであつたにせよ新憲法の実施にもかかわらず、民主主義と人権の伸張に歩調を合せた改正が施されていないため、旧態依然の条文中には後述のとおり、憲法の精神に反すると認められるものがあり、従つて、監獄法およびこれに基く施行規則に適合する措置であるからといつて、有効性妥当性をもちえないものもあることに注目しなければならない。

なお、付言するが、拘禁関係において、人権が違法違憲に侵害された場合の救済として、司法的救済のみがその唯一のかつ適切なものとは、もとより思われない。しかし監獄における人権の保障について、機動性があつて、しかも独立性と公平性を有する適初な制度機構の存しない現在においては、この種の不服申立に対する救済について、裁判所が、いきなりその担い手として登場することは、好ましくはないが、やむをえないものと考えざるを得ない。

従つて、本訴を、行政訴訟の対象とならないものを訴訟物とする不適法な訴である、とする被告の主張は、失当として排斥を免れない。

第三、死刑囚について

死刑は昔からある最も古い刑罰であつて、死刑の種類も多いが、わが国においては「死刑ハ監獄内ニ於テ絞首シテ之ヲ執行ス」る(刑法第一一条第一項)。「死刑ノ執行ハ監獄内ノ刑場ニ於テ之ヲ為ス」(監獄法第七一条第一項)。しかして「死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ハ其執行ニ至ルマデ之ヲ監獄ニ拘置ス」る(刑法第一一条第二項)。「死刑の執行は、法務大臣の命令による」(刑事訴訟法第四七五条第一項)のであつて、「法務大臣が死刑の執行を命じたときは、五日以内にその執行をしなければならない」(同法第四七六条)のであるが、「大祭祝日、一月一日二日及ビ一二月三一日ニハ死刑ヲ執行セズ」(監獄法第七一条第二項)と定められている。

死刑囚には絶対に逃げ場がない、決定的な除去があるのみである。死刑には社会復帰は考えられない。他のどんな被拘禁者にも社会復権の希望があるが、死刑囚には永遠にそれがない。

死刑の判決に対する上告棄却によつて、一すじの望みも消え、生の本能が脅かされるや、調子が狂い、ひどい苦悶の中でもがきあえぐ。死の恐怖は死よりもさらに苛酷な苦痛であり、絶対的な必然まで心の安まる日はない。決定的な恐怖から逃れんとして、脱走や自殺を考えるが、厚い壁と厳重な監視が無益なことを知らせる。知らされてもまた考える。絶望感と虚無感が支配し、無力感と孤独感は思い設けなかつた罰である。神経だけは異常に敏感にとぎすまされる。敏感にならなければ処刑の日を間達いなく行手に控えて無聊のやり場がない。看守の足音、扉の開閉の音の反響で、何が行われ、何が行われようとしているかをつかむ。想像される処刑の有様が眼底から去らない。かきむしりたい、壁にぶつつけたい、狂うような気になる。またしても脱走と自殺の誘惑にとりつかれる。優しさと思い遣りに対しては、感動を抑えることができないが、力と圧迫に対しては、死を背景にして捨鉢的な強さをもつて反抗する。ときとして彼は何か真実なものをつかもうとして集中する。宗教、風物、花鳥、いや脱走計画さえその対象である。集中だけが心のいこいである。ある段階では生への執着を絶ち切れず、はげしい焦燥感にとりつかれるが、ある段階に至つて、一切を忘れ諦めて平静な澄み切つた心境が訪れてくることがある。

死刑囚の心理や気持について書かれたものは少なくない。だがもつとも確かなことは、死刑囚のほんとうの気持は、死刑を言い渡され、決定的な瞬間まで拘禁され、そして刑場に消えて行つたその本人が知つているだけ、だということではあるまいか。

原告もその死刑囚の一人である。わが国は若干の文化国家におけると同様に刑罰としての死刑を是認しているが、死刑制度はこれを存置する合理的理由に乏しく、死刑の廃止はもはや日時の問題だと思われる。原告は少しばかり早く生れ、少しばかり早く犯したがゆえにその刑罰を背負わされたものということができよう。

死刑は犯罪の故に国家が一人の生命を奪う。健康な精神と肉体を人間の手で作られた欠陥―道徳的欠陥の故に神の意に反して奪うことである。残虐な刑罰ではないかも知れないが、残酷である。生きたい本能から生れた狂乱の心のままに死刑を執行するのは、より一層許せない残酷である。死刑囚と同じ拘置所も死刑を回避することはできない。とすれば、いかにして罪の自覚を完全に与え、被害者に対する贖罪の観念を起こさせ、死そのものを安らかな気持で迎えられるように仕向け教育して行くかという大きな務めが拘置所に負わされる。拘禁者の性格、特質及び境遇等を個別的に分別し、これに応じて適切な処遇を採ろうとする個別処遇は、拘禁行政における基礎観念の一つである。収容者の処遇においては、精神的にも肉体的にも害を与えることのないように努めることはもとより、常に誠と愛とをもつて、これに接するように心がけなければならないとされる。死刑囚ほど、個別処遇が必要とされるものはなく、死刑囚ほど誠と愛とをもつて接触することが必要とされるものはないであろう。

この死刑囚の処遇について、監獄法第九条は刑事被告人に適用すべき規定を準用すべきものとしているにすぎない。死刑囚は懲役囚と異なり刑の執行として拘禁されるのではないから懲役囚に準じなかつたのは首肯されるが、死刑囚は、かつて刑事被告人であつたが、今や既決囚である。無罪の推定は妥当しないうえに、証拠隠滅も無縁のことであるから、この準用は、二者の区別を念頭においてなければならないとともに、特殊の立場にある死刑囚に対する特別の積極的処遇が可能な範囲において要求されなければならないと考える。

刑事被告人の拘禁処遇について、監獄法は、懲役囚とは若干の異なつた規定を存置しているが、この若干の規定の存することは、両者の根本的差異に根ざすことを知らなければならない。未決拘禁に、不純な作用をもたせてはならず、刑罰の機能又は社会保安の機能をもたすことは断じて許されない。刑罰的効果や将来の犯罪の防止の目的を未決拘禁の目的に導入してはならない。拘置監から監獄の色彩を思想的にも制度的にも完全に払拭し、未決拘禁者の人権の尊重と自由権の享有の拡大が図られなければならない。死刑囚の刑の執行に至るまでの拘禁生活において、人たるに値する生活を保障すべき度合が、未決拘禁者以下であつてよい法律的、道義的理由は皆無である。

第四、取消及び無効確認の訴の適法性について

本件取消請求および無効確認請求(取消請求に準ずべき性質を有するもの)が、訴訟制度を利用するだけの正当な必要性があり、裁判所によつて解決されるに値いするものであるためには、第一に右訴訟の対象とされているものが存在し、次に審理を受ける資格ないし利益をもつていなければならないから、この点について判断を加える必要がある。なお、本件請求中には、「信書の発信を止めた行為」、「信書の抹消」、「日数をかけた通信の検閲」、「通信等を上級官庁等に示した行為」等字義からすれば、あたかも被告のした事実行為の取消ないし無効確認を求めていると見られるものがある。しかし法的行為でない事実行為の取消ないし無効確認というのは表現自体としてもまた理論的に考えても、奇異かつ無意義であるから、それは、救済上特別の事情があつて、将来に向つて右事実行為(勿論法律的変動を起している事実行為に限られるべきであるが)の差止めを求めている意味に解される場合のほか、通常の場合は、右事実行為に先行していると認められるような行政処分がありとすれば、その行政処分の取消ないし無効確認を求めているものと解するのが相当である。かような善解を容れる余地の有無を考慮しつつ、以下各請求ごとに逐次右適法性について検討する。

(一)  請求趣旨一(一)(二)のうち、

昭和二八年五月七日付国際新聞社宛通信の発信を被告が止めたと主張している点は、成立に争のない甲第七六号証、証人有田繁雄の証言(第一回)、および原告本人の供述(第一回)によると、同日原告が被告から、同通信は新聞社へ送ると誤解を生む虞があるから人権擁護局の方へ出してはどうかとの説明を受け、原告において発信を撤回している事実が認められるので、右取消および無効確認を求める請求は訴訟の対象を欠く訴であつて、不適法である。

同月九日付人権擁護局宛通信および同日付大阪自由人権協会宛通信の発信を被告が止めたと主張している点は、右甲第七六号証にはその旨記載されているけれども、有田証言(第二回)および弁論の全趣旨から判断すると、被告において右通信の発送手続をとろうとして保管しているうちに原告から返還を求めてきたので、同年六月一〇日頃原告に返戻していることが認められ、結局被告において右発信を止めたという事実は認められない。故にこれも訴訟の対象を欠く訴であつて不適法である。

昭和二九年四月一二日付戒能通孝宛通信(甲第一五号証)、同月二六日付同人宛通信(甲第一六号証)、同年六月一一日付同人宛通信(甲第一七号証)および同年五月四日付清水幾太郎宛通信の発信を被告が止めたと主張している点は、有田証言(第一回、第二回)および原告本人の供述(第一回)を綜合すると、右各通信は被告の検閲判定によると、いずれも不適当と思われたところから、原告に書き直しを求めるために返戻されていることが認められ(昭和二九年四月一二日付戒能宛通信は、その後書き直しのうえ同月一七日付で発信を求められ、同月三〇日発信されている。同月二六日付同人宛通信、同年五月四日付清水宛通信は、そのままで同月八日村本弁護人を通じて送ろうとして被告に拒否されているが、この点は請求趣旨七(一)(二)に掲げられている。同年六月一一日付同人宛通信からのちは、書き直しを勧告しないで一方的に扶消をして発信していることが認められる)、被告が右通信を止めたという事実は認められない。そして右返戻は前述のとおり書き直しを求めるためのものであるから、いわゆる一応の返戻であつて、そこには被告の発信不許可処分という行政処分や原告の法律的地位に変動を与えるような被告の行為がなされたと解することはできない。かように訴訟の対象中に行政処分と理解できるものがなく、また右返戻自体によつて法律的変動が起つていないとすると、かかる請求は権利保護の資格を欠く不適法な訴といわなければならない。

昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信の発信を被告が止めたと主張している点は、有田証言(第四回)によると、当該通信をその頃被告において止めた事実を認めることができる。そして右通信差止めは被告の発信不許可処分に基いて行われたことを理解できるから、この部分は右不許可処分の取消ないし無効確認を求める適法な訴と考えることができる。

昭和三〇年七月一九日付盧承達宛通信、同日付崔南植宛通信および同日付閔載寔宛通信(いずれも甲第一号証)の発信を被告が止めたと主張している点は、有田証言(第四回、第五回、第六回)によると、右通信はいずれも当時大阪拘置所に在監中の者に宛て、本件訴訟の訴状および答弁書を抜き書きしたものを封筒に入れて送ろうとしたものであつて、右文書には何の添書もされていなかつたものであるから、当該通信は信書すなわち特定人に対する思想、意見の伝達のための手段が表示された書面ではなく、在監督に対する一種の差入文書と認めるのが相当である(被告も差入文書として取り扱うべきものと考えたうえで、差入文書の取扱いに従い管理上の考慮から各宛名人に送る手続をしなかつたことが認められる)。そうすると結局右訴旨は右文書の差入不許可処分の取消ないし無効確認を求めているものと解するのが相当であるが、弁論の全趣旨によれば右差入の宛名人である崔、盧、閔は既に大阪拘置所に在監していないことがうかがえるから、差入不許可処分を争う利益は失くなつているといわねばならない。従つてこの訴は不適法なものというべきである。

(二)  請求趣旨二ないし五の各(一)(二)について。

原告の主張する事実は、いずれも当事者間に争いがない。発受する通信の抹消に対して取消ないし無効確認を求めているのは、当該通信をそのまま発受するのを不適当であるとして抹消したことを争うのであるから、つまるところ当該通信文に対する不許可処分を争つていると解されるが、当該不許可処分は、当該通信に抹消という回復することができない形態的変化を起す事実行為をもつてその執行を完了し、以つて処分の効果を全く果し終つている。すなわちもはや不許可処分の取消によつては法律的地位の回復が可能ではないから、かような場合は、右処分の取消ないし無効確認を求める利益がないというべきである。これ、あたかも、建築基準法第一〇条による建築物の除却命令がなされ、その執行として建築物が除却されたのちに、当該除却命令の当否を、取消ないし無効確認の訴の形で争うことに、訴の利益が認められないのと同様である。これと異なり課税処分や農地買収処分については、税金の納付後や農地の所有権移転登記ないし引渡後でも、なおそのことは取消の訴を不適法にはしない。なんとなれば、課税処分が取り消されると、具体的の租税債務は発生していなかつたことになり、その結果として、納付された租税は還付されなければならない。農地買収処分が取り消されると、当該農地の買収に基く法律関係は発生していなかつたことになり、その結果として、移転登記の抹消や農地の返還がなされなければならない。かような法律的地位の回復は、処分の有効を前提としてなされた結果的行為や次の段階の法律状態の存否にかかわらず、可能であり、その法律的地位の回復は、取消の訴が容認されることによつて、初めて可能になるのである。又課税処分や農地買収処分の無効確認の訴は、それが容認されると、有権的にその処分が法的には無であつたことが確定され、法律的地位が明確にされる。ところが、本件の通信不許可処分や前記建築物除却命令の場合にあつては、その処分の結果的行為もしくは処分の執行として、当該通信文に抹消が加えられ、もしくは当該建築物が除却されたのちにおいては、処分の有形的な物理的変化が加えられているのであるから、たとえ当該処分が違法もしくは無効であるとしても、もはや、処分そのものの違法もしくは無効を、取消もしくは無効確認の訴によつて争う利益はなく、その処分の違法もしくは無効は法に特別の明文のある場合(例河川法第六一条)でなければ、求めるに由なくその違法もしくは無効は、単に、損害賠償その他の救済請求において、前提として追及されるほかはないのである。抹消部分の内容的再現が可能かどうか、除却建築物の当該組成材料が存在するかどうか、同種類のものが他に存在するかどうかは、前記訴の適法性の判断に影響を与えるものではない。

日数をかけた通信の検閲および通信等を上級官庁等に示した行為は、いずれも当該訴訟の対象とされているものの中に被告の行政処分と理解できるものが存在せず、また右被告の行為によつて原告の法律的地位に変動を起しているとも考られないのでかかる行為を争う請求は権利保護の資格を欠く不適法な訴である。

(三)  請求趣旨六(一)(二)について。

原告は、被告が原告の発した昭和二九年四月一七日付戒能通孝宛通信の一部ならびに昭和三〇年一〇月二四日付立花正宛通信を隠匿もしくは廃棄したと主張するが、有田証言(第三回、第四回)によると、被告は右戒能通孝宛通信を昭和二九年四月三〇日頃発送していること、また右立花正宛通信を昭和三〇年一〇月二五日頃交付(もつともその通信をすぐに領置している)していることが認められるので、これは訴訟の対象を欠く訴であつて、不適法なものである。

(四)  請求趣旨七(一)(二)について。

請求の趣旨は明確でないが、請求の原因その他から判断すると、「被告が原告の発した昭和二九年五月一三日付弁護人村本一男弁護士宛通信の交付を妨害し、また昭和三〇年五月七日原田香留夫弁護士から原告宛に送られた「週刊サンケイ」(昭和三〇年五月一日号)を抹消した処分は無効なることを確認する。右の処分を取り消す」。という請求をしているものと解される。

右原告の主張する事実は、右有田証言(第一回、第三回)および原告本人の供述(第一回)により認めることができる。しかし右交付の阻止というのは、弁護人村本一男に対する通信であり、右原告と弁護人との関係は原告に対する刑事裁判が確定したことにより既に消滅しているのであるから、本件行為を争う利益はないというべきである。また右抹消を争う部分も、前述(二)通信の抹消同様、その取消ないし無効確認を求める利益を欠く不適法な訴というべきものである。

(五)  請求趣旨八(一)(二)について。

原告は、被告が原告の発した昭和二九年九月一三日付服部光行検事宛文書の送達を拒否しまた昭和三一年九月一一日付斎藤周逸検事宛文書を綴じかえたと主張する。ところが有田証言(第五回)によると右服部検事宛文書の送達を拒否したという事実は認められないから、これは訴訟の対象を欠く不適法な訴というべく、また斎藤検事宛文書を綴じかえたという点は、有田証言(第四回)により認められるが、当該訴訟の対象とされているものの中に被告の行政処分と理解できるものが存在せず、また右被告の行為によつて原告の法律的地位に変動を起しているとも考えられないので、かかる行為を争う訴は権利保護の資格を欠き不適法である。

(六)  請求趣旨一二(一)(二)のうち、新聞および書籍の抹消もしくは削除を争うのは、当該新聞および書籍の一部に閲読を許すのに不適当な部分があるとして抹消もしくは削除したことを争うのであるから、要するに当書籍等の一部閲読禁止処分を争つていると解されるが、前述(二)の通信の抹消同様、当該一部閲読禁止処分は当該書籍等に抹消もしくは削除という回復不可能な形態的変化を起す事実行為をもつてその執行を完了し、以つて処分の効果を全く果し終えていることにより、当該処分の取消ないし無効確認を求める利益はなくなつているというべきである。

(七)  その他

請求趣旨一四、一八、一九、二〇、三二の各(一)(二)は、過去の一定期間に限られて意味を帯有している行政処分や、既に過去に属する事実で現在いかなる法律的効果が妥当しているというのか理解できないものに対して取消ないし無効確認を求めようとしているもので、訴の利益を欠く不適法なものといわねばならない。

請求趣旨二三(一)(二)のうち、請願用紙の給与を拒否した処分を争う部分は、原告本人の供述(第一回)によれば、原告が右用紙の請求をしてからのちに当該請求を撤回していることが認められるので、訴訟の対象を欠くものというべきである。

請求趣旨二三、三四の各(一)(二)のうち、タオル、石鹸、歯刷子、歯磨粉および塵紙の給与を拒否した処分を争う部分は、有田証言(第五回)によると、右拒否の事実はなく、規則第八九条に従つて右日用品を給与していることが認められるから、これもまた訴訟の対象を欠く不適法な訴といわねばならない。

被告が原告に対して、昭和三〇年四月二七日無料理髪を停止したことおよび昭和二九年八月一一日面接を拒否したことまた昭和三一年四月九日質問の回答を拒否したことを争う部分は、弁論の全趣旨から判断すると、右日時に被告が原告に対して無料理髪を停止する処分ないし面接および回答を拒否する処分をしその効力が現在に及んでいることを主張しているのではなく、現在では妥当力を失つている過去の処分を対象としていることが明らかである。するとかかる訴は現在においてはもはや取消ないし無効確認を求める利益がないから、不適法なものである。

請求趣旨二六(一)(二)において、原告は、被告が原告に対して就寝時に学習することを禁じ、また就寝時間外に横になつて休息することを禁止したと主張するが、有田証言(第六回)によれば、右措置は管理上から定めた一応の基準で、原告から訴訟書類作成等のために学習する必要があると申し出れば、右就寝時間を延ばしており、また病気のとき等は申出により横になれるように取り扱つていて、原告の主張するような事実は認められないので、かかる訴は訴の対象を欠く不適法なものである。

請求趣旨三六(一)(二)において、被告が原告に対し物品の営利販売をなした処分の取消ないし無効確認を求める部分は、弁論の全趣旨から判断すると、大阪拘置所内において物品の販売をしているのは、財団法人矯正協会大阪拘置所支部(財団法人刑務協会大阪拘置所支部の後身)であるが、同支部の支部長を大阪拘置所長である松本貞男が兼任しているところから、原告は右支部長に対する訴訟も被告宛に起すことができると考えて、本件請求をしていることがうかがえる、しかしながら本件被告は行政庁である大阪拘置所長であり、右矯正協会大阪拘置所支部とは別人格であるから、大阪拘置所長に対して本件請求をすることは被告とすべきものを誤つているものというべきであり、また販売行為は行政行為とは解することができないものであるから、いずれにしても右訴は不適法である。

(八)  以上不適法と判断した以外の各訴は、いずれも取消ないし無効確認を求める行政処分の存在ないし利益を認めることのできる適法な訴といえる。

第五、取消および無効確認請求の当否について

取消および無効確認請求の当否の個々的判断に入るに先き立つて、一般的に拘置監を管理する被告の行為の限界を考える。

拘置監は主として刑事被告人を拘禁する所であり、大阪拘置所は死刑囚をも拘禁する所であるが、限られた場合を除き、懲役囚、禁錮囚等の受刑者を拘禁する所ではない。前述のとおり拘置監収容関係はいわゆる公法上の特別権力関係であるが、この公法上の特別権力関係は収容者の意思に反して成立し、収容者にはなんらの利益を考えるものでなく、強制力をもつて拘禁という害苦を加えることを目的とする点において、一般普通の公法上の特別権力関係と異なる特色を有する。被告と収容者との間には包括的な命令服従関係がみられ、被告は収容者に対し命令強制を加える権能を有する。

しかしながら、第一に右命令強制であつて人権の制限に触れるものは、法律に基く執行としてでなければこれをすることはできない。その法律が合憲なものたることを要し、違憲な法律であれば、これに基いて命令強制し、人権に制限を加えることの許されないことはもちろんである。第二に、法律上被告に許されている人権の制限についての裁量行為は一般に自由裁量に属せずき束裁量である。裁量の基準は拘置監の存立目的と人権との調和であるが、その裁量を誤るときは違法の処分となる。

ある範囲においては被告の処分は自由裁量に属する。すでに前記第二においた考察したとおり、拘禁と戒護の面においては法律のわく内と委ねられた範囲では、被告は自由裁量権を有し、その裁量を多少誤つても違法の問題を生じない。監獄法第一四条、第一五条(たゞし施行規則第二六条第二七条の制限がある)第一六条(ただし第一七条の制限がある)、第一八条、第一九条、第二一条の処分は、これに属すると考えてよいであろう。しかし、拘禁と戒護の目的から考えて合理的と認められる範囲を著しく逸脱すれば違法に転化する。施行規則第二六条、第二七条に反する場合、その措置は不当を超えて違法であろうし、法第一九条の戒具の使用が、濫用にわたると認められる場合は違法を免れないであろう。

注目さるべきは紀律違反に対する懲戒である。一般の特別権力関係においてはその特別権力関係内部における懲罰は、裁量を誤つても違法を惹起せず、たゞ特別権力関係からの排除(例、官吏の免職処分、学生の退学処分)のみが、裁量を著しく誤るときは違法になる(昭和二九年七月三〇日最高裁判所判決、昭和三二年五月一〇日同裁判所判決)とされていることとの関係である。拘置関係においては、その性質上、紀律違反者に対する拘置監からの排除という懲罰は考えることができないし、法は、第六〇条にそれ以外の一二種類の懲罰を定めている。思うに、監獄は、人権の収縮された保障を余儀なくされているところであり、懲罰は、その人権の保障のより一層の圧縮として行われるほかはないのであるから、他の場合と異なり、紀律違反行為の認定や懲罰の種類の選択における過誤は違法と解すべきであろう。法の定める懲罰の中には、重屏禁のごとき自由な人格者であることと両立しない奴隷的拘束、健康と生命を脅かす減食罰、戸外運動の禁止が存する。かような懲罰は現憲法上許されないと考えられる。

要するに、人権に制限を加える被告の規則は一般的に法律に基かなければならないし、また拘置監の管理者である被告に許されている自由裁量行為も、拘置監の存立目的から合理的に考えてその範囲を逸脱していないものでなければならない。そして拘置監は他の監獄と異なり刑罰を執行するところではないから、行刑に伴う教化という積極的な目的を持たず、たゞ拘禁だけを目的として設置されている。それ故に拘置所長のとり得る裁量措置の範囲は、拘禁と戒護の目的を達するための必要な措置、分析して考察してみると収容者の証拠隠滅を防止するための措置(施設上からの措置、他の観点からの措置は後述司法的処分をまつべきである。)逃走暴行および自他殺傷の防止、構内および房内の紀律維持等拘置所収容関係を保全維持するための措置に限られるといわねばならない。

死刑囚は、前述のとおり刑政上拘置監で被告人と同一の処遇をすることが適当とされ、拘置監内で拘禁されているのであるが。すでに述べたように、死刑執行までの拘禁生活に堪えかね、苦痛、恐怖心、自暴自棄から、逃亡や自殺等の事故を起し易いと考えられるから、他の収容者に較べて管理上特別の右配慮を必要とするのは当然のことゝいえよう。

(一)  昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信を止めた処分(請求趣旨一(一)(二)のうち)について。

表現の自由および通信の秘密は、国家権力によつて侵害されることのない基本的人権である。憲法第二一条は、集会、結社の自由とともに、「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と規定している。憲法のこの条項によれば、通信に対する検閲禁止には、法律による留保はなく、法律による制限の可能性の明示はない。しかし、通信の自由、通信の秘密も、他の基本的人権と同じく、人権を保障するために、論理上必然的に要請される権利の内在的な社会的制約には服するものと考えるべきで、従つて、公共の福祉の要請に基く法律による制限を許されないものではないと考える。この観点において、刑事訴訟法第八〇条が「勾留されている被告人は、第三九条第一項に規定する(註、弁護人又は弁護人となろうとする)者以外の者と、法令の範囲内で、……書類……の授受をすることができる。」とし、同法第八一条が「裁判所は、逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるときは、……勾留されている被告人と第三九条第一項に規定する(註、同前)者以外の者と……授受すべき書類その他の物を検閲し、その授受を禁じ、若しくはこれを差し押えることができる。」とし、同法第一〇〇条第一項が「裁判所は、被告人から発し、又は被告人に対して発した郵便物又は電信に関する書類で通信事務を取り扱う官署その他の者が保管し、又は所持するものを差し押え、又提出させることができる。」としていること、監獄法第四六条が「在監者ニハ信書ヲ発シ又ハ之ヲ受クルコトヲ許ス。受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非ザル者ト信書ノ発受ヲ為サシムルコトヲ得ズ。但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラズ。」とし、第四七条第一項が「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニ係ル信書ニシテ不適当ト認ムルモノハ其発受ヲ許サズ。」とし、第五〇条が「接見ノ立会、信書ノ検閲其他接見及ビ信書ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム。」とし、同法施行規則第一三〇条が「在監者ノ発受スル信書ハ典獄之ヲ検閲スベシ、発信ハ封緘ヲ為サズシテ之ヲ典獄ニ差出サシメ受信ハ典獄之ヲ開披シ検印ヲ押捺スベシ」としたことに合憲性が認められなければならない。公共の福祉のために、受刑者その他一定の者を拘禁することは、すでに憲法および法律上容認されており、かつ、拘禁はそのもつ一面の作用である社会隔離の点において、外部との自由な交通と背反的性質を有し、外部との秘密かつ自由な通信を許すにおいては拘禁および戒護を妨げるおそれ、換言すれば、逃走暴行、自他殺傷等のおそれと施設内の紀律と秩序をおそれのあることは見易い道理であり、監獄の保安維持と一般社会の不安の防止という公共の福祉のために、監獄に拘禁されている者の発受する通信を、監獄の長が検閲することは許されるものとしなければならないのである。

右にいう検閲は、信書を点検審査し、その内容を了得することをいう。検閲の事後措置として、信書の発受の禁止、不許可――全部的なそれは信書の差止めという形であらわれ、一部的なそれは、抹消、削除という形であらわれる――が許されるか否かはなお若干の考察を要する。

憲法第二一条にいう検閲は、国家機関が発表さるべき思想の内容を、その発表に先立つて審査し、不当と認めるときは、その発表を禁止することができる制度を指称する。このことは、歴史的にみても明らかであるし、本条の精神に立ち返つてみても疑いない。しかし、公共の福祉による検閲の容認の場合に、事後措置としての発表の禁止、通信の禁止ができるかは、自ら別問題である。

それをも許容したものであるか否かは、検閲を許容した法条の趣旨および事柄自体に則して決定されなければならない。前記刑事訴訟法第八一条の検閲の場合において、不適当な通信文の差止め、削除、抹消の許されることは、文言そのものからも、また、それが刑事被告人についての逃走とか罪証隠滅の疑いの濃い場合における、裁判所の行う司法的措置であることに照し了解されうる。また、監獄法第四七条の規定からいつて、受刑者の発受する信書で不適当と認めるものについて、検閲後の差止め、削除、抹消の許されることは明白であるし、受刑者に対しては、監獄は、行刑による教化、矯正の責務を有するから、そうしたことも納得できるものとしなければならない。

ところで、刑事被告人の勾留の目的は、逃亡の防止と証拠隠滅の防止であつて、拘禁および戒護に服しなければならない。故に刑事被告人は勾留の目的や拘禁および戒護に伴う必然的な自由の制限は免れることはできない。しかし、刑事被告人は、有罪の宣告があるまでは無罪の推定を受けているのであつて、右の自由の制限は、できる限り最小限度にとゞめなければならない。従つて刑事被告人に対する自由の制限は、勾留の目的の確保、拘禁および戒護、すなわち監獄内における逃走、暴行、自他殺傷の防止と紀律と秩序維持のための必要最少限度でなければならない。前述のとおり、刑事被告人が信書の開披審査によつて、その秘密を侵されることはやむをえない。一定の場合における司法的措置としての信書の授受の禁止(刑事訴訟法第八一条)も容認しよう。しかしこのうえさらに、行政的措置による信書の発受禁止すなわち差止め、抹消、削除をたやすく認めるがごときは、人権への不当な制限であり、もはや必要最小限度の域を超えたものといわなければならない。刑事被告人の信書の発受を差し止め、信書に抹消、削除を加えることは、法の許容するところではないと解すべきである。監獄法が、受刑者の信書の発受を禁ずる場合のあることを、明文で認めながら、刑事被告人に対し行政的措置による発受不許可の規定を置かなかつたのは決して故なしとしないのである。

叙上のことに関連し、旧憲法時代において、未決勾留者が他人を脅迫し、または犯罪となるべき文書を発送せんとする場合に、典獄がこれを禁止し得るやについて、学説として消極説があつたにもかゝわらず、行刑当局は積極説を正当としてその措置を取つていた。犯罪文書は保護に値いしないことには異論がないが、そうだからといつて典獄においてその通信を禁止する任務と権限はない。典獄は検察官の職務を行うものではない。故に、要すれば告発(刑事訴訟法第二三九条第二項)その他の方法を採るほかはない。成立に争いのない乙第四号証(昭和二六年九月二七日刑政長官通牒矯保第一、二九二号)によれば、この点は改善された。すなわち、刑事被告人が発しようとする犯罪文書について、本人が発信を求めて譲らないときは、検察官に連絡して、裁判官の差押令状による差押の措置をとることに改められたのは当然である。

前記乙第四号証および弁論の全趣旨によれば、被告は、刑事被告人の発受する信書の内容が施設の管理運営上発受を適当としないものについては、被告の意見により本人の意思のいかんにかゝわらず、その部分を抹消することができるとの法律的見解と方針のもとに、そのような措置を実施していることが認められるが、この見解は採用しがたく、その措置は是認できない。単に当該信書の内容の全部又は一部が監獄の管理運営上適当としないものであるからといつて、包括的権力を有する被告の主観的な判断――判断基準は極めて不明確である――によつて、通信の発受の自由という重大な人権が侵されることを認めることは、単なる法益の比較権衡論からしても許されないし、もともとさような法的根拠は存しないのである。

それでは、刑事被告人として拘禁されている者の発受する信書は、これを検閲することはできるが、発受の全面的禁止や一部についての抹消削除は絶対にこれをすることができないものか、例外は存しないか、というにそれは例外を認めない絶対的のものではなく、例外として、ごく限られた範囲においては、差止め、削除、抹消の許される場合があると考える。それは「明白かつ現在の危害」の理論の導入によつてである。その文書をそのまゝ発受することを認めると、拘禁および戒護に、明白かつ現在する危害をつくり出すような状況における通信や、そのような危害を生ずることが必至に予見される内容をもつ通信は阻止されなければならない。通信が、逃亡や所内の殺傷の目的のために、その用具の入手とか使用のことにつき具体的記述をもつたもの、同じ目的のために、所内の警備状況や獄舎の見取図を表示したもの、暴動を起すことに関しての通謀打合せのごときは、戒護に、明白かつ現在の危害があることが必至に予見される右例外の場合に当るとみてよいであろう。収容者は犯罪者もしくは犯罪の容疑のある者であり、拘禁は、逃亡、自殺、暴動に収容者の関心をもたせるものがあるにせよ、具体的なものがあらわれていない通信や、監獄の管理運営に関する記載があるが、それに間接的な影響を与えるにすぎない程度の通信は、右例外に数えられるべきでない。たとえば、未決拘禁者が他の未決拘禁者に対し、拘置所の処遇について不満を感じていることを訴え法律的斗争(本件のような行政訴訟)の必要を説くもの、外部の一般人や知名の士に宛て、拘置所の管理、処遇について不服を訴えるもの(真実を伝えず、誇張や歪曲に満ちたものであつても)、また拘置所の職員を侮蔑し誹誇することを内容とするもの。それらは、いずれも、拘置所の管理運営に益するものではないから、被告にとつては、好ましからず、腹立たしく苦々しいものであろう。しかし、多少の冷静と寛容をもつてみれば、それによつて、拘置所の管理運営が直接にどう左右されるというものでもなければ、危害があるというものでもないことは、いうをまたず、もとより明白かつ現在の危害を認めることはできない。明白かつ現在の危害がなければ、拘禁者の動静を、通信文を検閲することによつて十分に知ることができ、かつ、それによつて、適切な措置をとれないわけではないから、この場合には、この程度の手段のとれることをもつて足るとすべく、通信の差止め、削除もしくは抹消は、拘置所の管理運営への危害の防止にとつて不可欠の手段とはいえないのである。

死刑囚の拘禁は、証拠隠滅の防止の目的が消失していることにおいて、刑事被告人と差異があるが、拘禁および戒護の面においては、特に異質に取り扱うべきものではないのであるから、以上述べた検閲および事後措置の問題については同一判断に帰着する。

そこで、本件に立ち返つて判断すると、前述のとおり、原告の発した昭和三〇年一月一〇日付国際新聞社宛通信を被告がその頃止めたことが認められ前記有田証言によると、その通信文の内容は単に新聞の購読申込に関するもので、全然その他にわたるものでないから、上述のとおり、それは監獄法上許されていない違法な処分といわねばならない。

右違法は監獄法の定める手続によらないで、憲法第二一条の保障している通信の自由を奪つているもので、憲法第三一条の趣旨から考えて許されないものというべく(同条は刑罰について規定しているものと解されるが、ひろくあらゆる自由の侵害についても準用されるべきである。)かゝる憲法に違反する行政処分は無効というべきである(憲法第九八条二項)、それ故に、右無効確認請求は理由がある。そして無効確認請求が認容された以上、予備的な取消請求については判決をする必要がない。

(二)  筆記用具を制限した処分(請求趣旨九、一〇の各(一)(二))について。

(イ)  原告の主張するとおり、被告が原告に対し昭和二九年五月二九日原稿用紙の使用を禁止し、同年八月一三日ノートの使用を一冊に制限し、同月三一日美濃罫紙を訴訟用のほか使用を禁止し、同年九月三日ノートの使用を禁止し、同年一〇月七日便箋紙を通信用のほか使用を禁止したことは、当事者間に争いがない。

ところがノート、原稿用紙、美濃罫紙および便箋紙等の用紙類は通謀、逃亡等の用途に供される虞があるから、拘置所の拘禁及び戒護に支障を生じない範囲で、かつ収容者に著しい不便を来たさない限度で制限をすることは容認されうるところである。特に美濃罫紙は、これによつて「こより」を作り、糸の代りに使用して外部と連絡を試みたりまた縄を編んで逃走に用いたりすることが考えられるので、その使用は用途を厳重に限定することが許されるものというべきである(法第五三条、規則第八八条、第一四四条参照。たゞし用紙具の使用も恩恵的なものと取り扱うべきではない)。

有田証言(第一回、第五回、第六回)原告本人の供述(第一回、第二回)および弁論の全趣旨によると、被告が昭和二九年五月二九日原稿用紙の使用を禁止したのは、原告が原稿用紙を獄内斗争の手段のため使用したり、外部に向つて拘置所の管理状態を事実をまげて非難するために使用したりしたからであり、またノートの使用を禁止したのは、原告がノートの使用についての禁止事項(甲第八六号証)を誓約しなかつたからであることが認められ、更に原告にははがき、罫紙、便箋の使用が許されていることが認められるから、かかる条件のもとで被告が原告に対し原稿用紙およびノートの使用を禁止した措置は、前述のとおり被告に許されている権限の範囲内の行為であつて違法なものとはいえない。

また同年八月一三日ノートの使用を一冊に制限したこと、同月三一日美濃罫紙を訴訟用のほか使用を禁止したこと、同年一〇月七日便箋紙を通信用のほか使用を禁止したことは、いずれも前述のとおり被告が管理上行使できる措置であり、通信ないし表現の自由を不当に制限したものとみることはできない。

(ロ)  原告の主張するとおり、被告が原告に対し万年筆、赤色インキ、赤色鉛筆、消しゴムおよびスケールの使用を禁止し、ノートの差入れを禁止し、ペン先の使用を特別許可制にしたことは、当事者間に争いがない。

ところが万年筆、ペン先は自他殺傷の道具として使われる虞があり、特に万年筆はその構造上検査が困難であることが考えられ、さらに有田証言(第六回)によれば鉛筆の使用は許されていると認められるから、拘禁及び戒護に支障がないように被告が万年筆、ペン先につき右措置をとつたことは違法ではない。またノートの差入れを許すと焙り出し等の方法で外部から連絡を受けることが考えられ、その検査は困難であることから、被告がノートの差入れを禁じて、被告の斡旋するノートを使用させることにしているのは、決して違法な措置ではない。

次に消しゴムおよびスケールはあれば便利であるが、特に必要なものということはできない。また有田証言(第五回、第六回)によれば、原告には鉛筆、ペン軸、ペン先、青色インキの使用の許されていることが認められるから、赤色インキ、赤色鉛筆はいずれも特に必要なものということができない。しかも消しゴムは鉛筆書き等による隠れた通謀に用いられる虞がありまた赤色インキおよび赤色鉛筆は被拘禁者の異常心理から卑猥なものに使用されて内部規律を乱すことが予測される。従つて右各用具の使用を禁止したことを違法とはいえない(法第五三条、規則第八八条、第一四四条参照)。

(三)  書籍、新聞の閲読およびラジオの聴取を制限した処分(請求趣旨一二、一三、一七の各(一)(二))について、

日本国憲法は、個人主義と、民主政治の原理に立脚しているが健全な民主政治が、民衆の意思のありのままな表現と自主的な判断によつて動かされる政治であるからには、国民は何事もよらされるのではなく、すべてを知る機会と手段が与えられなければならない。すべて国民には知る自由と権利がある。知る自由は、思想の自由、表現の自由につらなつており、その他憲法の定める自由と権利であつて、知る自由と無関係に享有できるものは数えられない。知る自由が国民の重大な基本的人権に属することは多言を要しないのであつて、国民は新聞その他の印刷物を読む自由を有する。ラジオを聴く自由を有する。この閲読聴取の自由に対する制限は、特別権力関係のもとにおいても合理的理由のない限り加えられるべきではない。

ことに、新聞(主としていわゆる全国紙や有力な日刊地方紙を指称する)については、このことは一層明確である。今日において新聞はもはや社会の公器たる性質を有するものであつて、それは敏速的確な、国内および外国の外交、政治、経済、社会万般における事実事件の報道、時事問題についての傾聴すべき論説と意見、興趣ゆたかな随算と読物、読者の自由な投稿と発言、種々雑多な広告記事を掲載編集し、それによつて民衆に判断の基礎となる材料を提供することを使命とする。新聞は知識の糧である、社会活動の切断を余儀なくされている収容者といえども、その拘禁期間の長短によつてその必需の度合が低下するとは思われず、むしろ一般社会から隔離されていることが、与えられなければ、それへの飢餓感をより一層切実なものたらしめているはずである。そして、新聞はその性質上その日その日に供給されてこそ意義と価値を有するものである。在監者に対して新聞の閲読を禁止することは許されない。

ところが監獄法施行規則第八六条第二項は「新聞紙及ビ時事ノ論説ヲ記載スルモノハ其閲読ヲ許サズ」とし、同規則第一四二条は「在監者ニハ新聞紙、時事ノ論説ヲ記載シタル文書ノ差入ヲ為スコトヲ得ズ」として全面的に新聞紙の閲読禁止を図つている。この法令は上述のところに照し違憲性は明白疑いなく無効というにはばからない。

成立に争いのない乙第六号証(昭和二一年一〇月行刑局長通牒行甲第九八一号)によれば、行刑当局も新憲法の精神に沿う必要を認め、「新聞及び雑誌の閲読については、従来多くの制限を加えているが、これを緩和して爾今左の通り扱い収容者の思想の自由を確保するとゝもに世相の把握に努めさせることにせられたい」として、「(1)受刑者に対しては切抜新聞及び適当なる雑誌をできるだけ多く閲読せしめること。(2)未決拘禁者に対する雑誌の種類はこれを制限しないこと。(3)新聞の切抜及び雑誌の備付はできるだけ多くし、図書室、食堂、その他適当の場所を広く利用すること。」の措置によらせることにしている。

右措置は未決拘禁者に新聞の閲読を許すことにしたのか、あるいは受刑者と同様に、切抜新聞の閲読を許したのか明確ではなく、有田証言(第五回)によれば後者の趣旨と理解される。受刑者はともかくとして未決拘禁者の地位に照せば、新聞を新聞として閲読せしめない以上、その違憲性はおおえないといわなければならない。未決拘禁者は知る自由を奪うために拘禁されるのではない(もしそうなら怖るべきことである)。未決拘禁者は拘禁が完ペきで戒護が厳重である限り、勾留の目的すなわち逃亡と証拠隠滅については手も足も出ないのである(未決拘禁者には監獄法第一七条、規則第二四条の施設上からの措置、交談禁止その他の戒護の面からの措置のほかに、刑事訴訟法第八一条の司法的措置が存する)。当該未決拘禁者の犯罪記事が新聞に掲載され、それを閲読したからといつて、逃亡や証拠隠滅のおそれを、どれだけ招来するであろうか、そのことは少しく冷静に考慮すれば明白であろう(拘置所の戒護の面からの措置によつては、その防止が不十分とみとめられるときは、前述の司法的措置が控えている)。身体の自由を拘束する拘禁、ことにそれが長期にわたるときは、その者の思惟や感情や慾望に多少の変化を生ずるものであること、同一対象物も、環境を異にして見るときは、異つた印象と刺激を与えるものであることに異論はないが、それだからといつて、一般社会生活においては、問題とされない新聞登載の犯罪記事や、やゝ低俗な興味をそそる記事を、読ませない理はない。臭いものに蓋という考え方は全然意味がない。未決拘禁者は別人ではない。一般社会から入つて来て、やがてはそこへ帰つて行くのである。もしそれが論説や意見が犯罪にふれたものであつても、これを伏せるに至つては、よらしむべし、知らしむべからずの誤つた古い観念が横行しているといわなければならない。個人の人格の尊重も、民主主義も第一歩から問題にはならない。

以上述べたとおり、新聞の閲読を禁止することは許されない。拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合(例えば逃亡の打合せを広告記事を利用して行う)も机上では考えられるが、実際には起りえないであろう。一般の文書図画も、未決拘禁者にはその閲読を許すのが当然であり、これを制限することは違憲といわなければならない。たゞ新聞と異なり、拘置所の管理に有害なものもあると考えられるから、その閲読が拘禁および戒護に明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合には、当該文書図画の閲読の全面的禁止、もしくは一部の禁止すなわち抹消、削除は合憲性を取得するであろう。規則第八六条第一項「文書図面ノ閲読ハ監獄ノ紀律ニ害ナキモノニ限リ之ヲ許ス」の規定は、わずかに上述のごとく解することによつてのみ存在を許されるであろう。ラジオの放送の聴取もその新聞に類似する公共性と、使命を有することにかんがみ、原則として許されなければならないが、前述の明白にして現在の危害の起ることが予想される場合においてはその聴取は制限されなければならない。たゞラジオの直接放送はその性質上一旦聴取されるときは、後の祭である、その関係において、右のわずかに例外的制限の許容されることを考慮すると、ラジオの直接聴取を許されないことゝされてもやむをえないものといわなければならない。

以上のことは死刑囚の拘禁についても妥当する。そして死刑囚の前記特殊の立場を考慮するときは一般の文書図画の閲読制限に多少の差異の存することは容認されるであろう。

(イ)  請求の趣旨一二(一)(二)の「絞首台からの叫び」の閲読を制限した処分について。

原告の主張するとおり、「絞首台からの叫び」の閲読を禁止したことは、当事者間に争いがない。

「絞首台からの叫び」は証人今井文雄の証言および原告本人の供述(第四回)によると、ナチスドイツの手によつて刑務所に収容されたチエコスロバキヤの共産党員ユリウス・フーチクの獄中斗争のルポルタージユ「絞首台からの手紙」をもとにして同人の獄中における日常の抵抗運動を賞讃的な筆致で叙述しているものであるが、本件処分前、本書が官本として原告にも貸し出されていて、既に原告において読み終わつていたものであり、同書の閲読を引き続き容認したからといつて、大阪拘置所における拘禁戒護に現実の危害が発生するとはとうてい認めることはできないのである、しかしながら右今井証言によると、同書はこれを拘置所備付の官本として被告より進んで収容者に閲読させるには不適当であるとし、貸出図書から除外し、爾後貸出をしないことゝして、原告から回収したものであることが認められる。どんな図書を拘置所備付の官本として収容者の閲読に供するかは、被告の自由裁量に属し、従つて官本除外処分も被告の自由裁量に属するものというべくかつ右除外処分が裁量の範囲を逸脱したものとも認められないから、官本除外処分に伴つて当然閲読禁止処分と同様の結果が招来したとしてもこれをもつて違法な処分と解することはできない。

(ロ)  請求趣旨一二の(一)(二)のうち「死と壁」の閲読を禁止した処分について。

「死と壁」は、右今井証言によると、もと大阪拘置所長玉井策郎の著書で、同人の見聞した同拘置所に収容されていた死刑囚(その中の幾人かは原告と在監時が幾分重なり、仮名を用いてあるが原告にもそれと知れる者)の在監中の各種の事故、外部との通謀状況、殊に死に直面する煩悶および死刑執行の進行の場面等が眼のあたりに見るごとく詳述されていることが認められる。すると通常人ならともかく同一の生死の不安定な境に立たされている死刑囚に同書が与える印象は余りにも生々しく強烈にして刺激的であるばかりか、原告が右記述されている死刑囚の幾人かと当時接触して知つていると思われることを考え合せると、右図書の閲読を原告に許容することは戒護に明白かつ現実の危害を及ぼすものと推認されるので、同書を管理上有害という見解で閲読を禁止したのは決して違法でないと認めるのが相当である。

(ハ)  請求趣旨一三の(一)(二)について。

原告の主張するとおり、被告が原告に対し国際新聞および朝日新聞の送金による直接の継続的購読を禁止したことは、当事者間に争いがない。

有田証言(第四回、第五回)によると、新聞の閲読は規則第八六条第二項で禁ぜられているが、前記通牒に従い、新聞を切り抜いてその閲読を許している。被告が新聞の(右切抜新聞の意味)直接購読を禁止するのは、大阪拘置所においては被疑者の滞在日数が平均七日、被告人のそれが平均三七日というように収容者の移動が激しいうえに、四条拘置支所との間の移動が一日平均一三〇名、刑が確定し他所に移送するものが一日平均三五〇名もあるので、新聞に管理上から必要な切抜き措置をしたり、その購読の注文、注文の取消し、金銭の出納に人的能力を超える手数を必要とするからであるというなるほど現在の拘置所の人的能力や収容者の移動状況からすれば、収容者全員に新聞の購読を許すことは不可能とも考えられるが、大部分の者は適当に備え付けられた新聞の閲読で満足するであろうし、一部のものは差入れの手段を取るであろうし、差入れの便宜を有しない少数の、しかも収容期間が一定期間以上にわたると予測される者に対してのみ、直接購読を許容することさえ不可能であるとはとうてい認められないのである。故に違憲と考えられる規則第八六条第二項に基き新聞そのものゝ購読を禁止した被告の処分は、効力を生ずる余地のない無効な処分といわねばならない(憲法第九八条第二項)。従つて、被告が原告に対し昭和三〇年一月一三日国際新聞および昭和三二年一〇月一一日朝日新聞の購読を禁止した処分の無効確認を求める部分は理由がある。無効確認が容認される以上、取消を求める部分は判決する必要がない。

(ニ)  請求趣旨一七の(一)(二)について。

有田証言(第五回)及び原告本人の供述(第一回)によれば被告が原告に対し被告の選択したラジオ放送のみを聴取させていることが認められる。

ラジオの聴取は前述のとおり管理上から被告の設置したスピーカーを通じて時間を限つて画一的な番組を聴取させることはやむをえないというべきところ、有田証言(第五回)によると、放送時間を朝一五分、昼一時間三〇分、夜三時間一五分で一日大体五時間、日曜日にはさらに三時間一五分を増し、一方放送の内容は収容者の全体の希望も勘案し、娯楽放送五三、八パーセント、時事報道一九、五パーセント、教養番組一三パーセント、社会報道五、四パーセント、スポーツ三パーセント、その他五、三パーセント、という比率で放送していることが認められる。被告の右放送時間の枠の設定ないし放送内容の選択はいずれも権限の範囲内の行為とはいえるから、右被告の措置の結果原告の主張するような番組が放送されていないとしても、これを違法な行為というのはあたらない。

(四)  監房内の所持制限(請求趣旨一一、一五、一六の各(一)(二))について。

監獄は、収容者の身柄を拘禁し戒護にあたるところであるから収容者が、所持品を監房内に無制限に持ち込むことの許さるべきでないことは、当然である。自由な持込みが許されない結果、自己の所持品でありながら、その使用がその限りにおいて制限されるのもやむをえないものとして容認しなければならない。拘禁戒護に支障のないものは特に携帯持込みを許すが、在監者の携有する物は点検してこれを領置し(法第五一条)、在監者に交付した信書や公文書も、教化上必要の認められる場合(規則第一三五条)のほかは、本人の閲読の後これを領置する(法第四九条)のが原則である。

所持品の携帯を許すかこれを領置するかは、事柄の性質上、原則として、被告の自由裁量に委ねられているものと解すべく裁量権の行使が特に著しくその範囲を逸脱していると認められる場合のほかは、違法の問題を生じない。領置物は、釈放の際本人にこれを交付する(法第五五条)ことになるが、それまでの間、本人の申出があるときは、拘禁戒護に支障がないと認められる限り、本人の使用が許さるべきであろう。なお、本人所持の文書図画であつても管理の面から、同時に閲読できる冊数は字書を除いて三冊以下に限定されている(規則第八七条)。原告の主張するとおり、被告が原告に対して監房内における書籍、記録ずみのノート、信書および公文書の所持を制限ないし禁止したことは、当事者間に争いがないが、有田証言(第五回、第六回)および原告本人(第二回)の供述によると、右措置は監房内において同時に所持できる書籍等を法第三一条、第四九条、第五一条、および規則第八七条、第一三五条により一応制限したものであり、訴訟等に特別に必要があるとして申し出られた場合には右制限に拘らず必要な範囲で所持させており、しかも官本書籍については週一回の交換、記録ずみノート、信書および公文書は随時申出によつて出し入れを許しており、閲読の自由は奪われていないことがうかがえるから、上述に照し、被告のした右制限、禁止は違法ではない。

(五)  給養に関する処分(請求趣旨二一、二二、二三の各(一)(二))について。

在監者には、衣類、寝具、糧食、飲料その他の生活必需品を給与し又は貸与する(刑事被告人等の衣類寝具等は原則として自弁とし、自弁不能の者には貸与する。なお糧食等の自弁も許す)。これ収容者の自由を強制力をもつて奪つた反面において、国家のなさねばならない責務である。すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法第二五条)のであるし、おしなべて国民の生活水準の向上発展が顕著に見られる以上、拘禁生活もそれに伴つて向上の歩調を同じくしなければならず、監獄法の給養に関する規定も、新しい角度と観点から眺められ直さなければならない。すべての被拘禁者には、健康および体力を維持するに十分な、栄養価と分量のある、うまく調理された衛生的な食糧が、定められた時間に与えられ、飲料水は、要求があるときはいつでも、適当なものが与えられるものとするのが、法第三四条、規則第九四条、九五条、九七条の趣旨であるべきであり、衣類、寝具、雑具は、季節に適しかつ、健康と品位を保つに足る、清潔な一式を与うべく、日用品は、通常人の日常生活に不便を感じさせない程度の質と量のものを与えようとするのが法第三二条、三三条、規則第八九条ないし九三条の趣旨とみなければならない。しかしながら、給養は原則として定められた予算の範囲内で行わねばならないし予算的裏付の十分でない今日においては、いまだ必ずしも満足すべきものではないが、それは、不断の熱意と努力によつて漸進的な改善向上が図られるべきものであると思う。

(イ)  請求趣旨二一(一)(二)について。

原告の主張するとおり、被告が原告に対し、昭和二九年一〇月一四日保健食および特別菜の給与を停止したことは当事者間に争いがない。しかしながら、有田証言(第五回)によると、右保健食および特別菜とは健康と体力回復のため、特に結該患者に給与されることになつている病人食で、昭和二九年頃原告が肺浸潤と診断されたので右給養をすることになつたが、昭和二九年一〇月一四日医務課長(医師である法務技官)の、右病気は快癒したという診断に基いて、その給養を停止したことが認められ、健康体に給与すべき法定の糧食を給与しないことにしたのでもなく、また右特別給与を停止したことによつて、健康体が必要とするカロリー等の摂取が許されなくなつたものでもないのであるから、右被告の行為は違法なものではない。

(ロ)  請求趣旨二二(一)(二)について。

拘置所の収容者に給与すべき糧食の種類および分量の実際の取扱いは成立に争いのない乙第七号証、すなわち昭和二四年六月一五日法務総裁訓令矯保甲第四七号収容者食料給与規程(従来の収容者に対する食糧の給与手続を、昭和一八年七月三日行甲第一二五〇号をもつて「食糧給与規程」に改正し、さらに栄養管理上一人一日の給与量をカロリーによつて定めたもの、同年七月一日から施行)の定めるところに拠ることになつているが、同規程は前記法文の趣旨を具体化している適法なものと考えられる。右規程によれば、食等が五等に分かれた主として作業の種別に基いて配当され、二〇才以上の収容者に給与する飯量の等級は、(イ)重労作に就く者、男一等(三、〇〇〇カロリー)、(ロ)比較的重労作に就く者、男二等(二、七〇〇カロリー)、(ハ)中等労作に就く者、男三等(二、四〇〇カロリー)、(ニ)軽労作に就く者、四等(二、〇〇〇カロリー)(ホ)不就業者、五等(一、六〇〇カロリー)等と定められている。そして一方、菜すなわち副食物については、インフレを反映して現行法どおり三〇円以下と改正され、さらに栄養管理上の合理的考慮から一日に給与すべき栄養量を右規程で定め(熱量は、成年収容者については三三五カロリーと定めている)、それを下らないように努むべき旨前記法文の趣旨を実質的な面から具体化している。

有田証言(第五回)および原告本人の供述(第二回)によると、被告が原告に対して昭和二七年五月八日から給与している主食および副食は、いずれも右規程ひいて前記法条に適合しているものというべく、被告の糧食給養が違法であるという原告の主張は理由がない。

(ハ)  請求趣旨二三(一)(二)について。

原告の主張のうち、訴訟用紙および請願用紙については、有田証言(第六回)によると、被告が右給与を拒否したことは認められるが、それは原告が紙の購入金を所持しながら多量の紙を要求したからであること、またその後に給与のなされている事情も認められるので、右被告の行為を違法なものということはできない。

(六)  拘禁戒護およびこれに伴う日常の起居動作に対する監視拘束(請求趣旨二四、二七ないし三〇、三一、三五の各(一)(二))について。

原告の主張するとおり、被告が各処分をした事実は、当事者間に争いがないが、(イ)原告等被拘禁者をどの独房に入居させるかまたいわゆる厳正独居に付するかいわゆる緩和独居に付するかということ(原告のいう隔離厳正独居処分とは、本訴の全趣旨から判断すると、被告が原告を一般舎房から隔離されている五舎の独居房に移すとともに、運動等すべての場合に他の収容者に会つて話ができないように分離したことをいつているものと解される。原告はまた、五舎が懲役監であり、原告をかゝる懲役監に収容したことを法第三条第二項に違反すると主張しているが、弁論の全趣旨に徴するも原告を懲役監に収容したとは認められない。(ロ)原告の就寝時の身体の姿勢を指定すること、(ハ)監房内で上半身裸になること、水で身体を拭くこと、パンツ一枚の姿態になることならびに窓ガラス、視察口および食器口を開放することを禁止すること、(ニ)監房の窓ガラスを金網に取りかえること(原告は監房を故意に暗くしたことを不服の理由にしているように解されるが、全証拠によるも、被告が故意に暗くした違法があるとは認められない。)、窓から外を見ることを禁止したこと、(ホ)寝具を座布団代りにすることを禁じたこと(ヘ)拘置所内を連れ歩くとき手錠をかけることを命令したこと、(ト)監房検査の立会いを禁止したこと、(チ)教育課長および担当看守の氏名を教えることを拒否したことは、いずれも被告に認められている裁量内の行為であつて、これを違法な処分ということはできない。

(七)  死刑執行場前で運動することを命じた処分(請求趣旨二五(一)(二))について。

原告の主張するとおり、死刑執行場前で運動することを命じたことは当事者間に争いがない。

在監者には、毎日、その健康を保つために必要な運動をさせなければならない(法第三八条)し、原則として、雨天のほかは戸外運動をさせなければならない(施行規則第一〇六条)。運動の場所としては設けられた正規の運動場を使用させるに越したことはないが、場合に応じ適当な場所を用いることに違法の問題を生ずる筋合はない。ところで、原告は死刑囚である。それを死刑執行場前で運動させることは、無益な苦痛を与える許されない措置で原告の不服は一見理由があるごとくに思われるが、原告本人の供述(第三回)によれば、死刑執行場といつても外観上は何の表示もなくまた内部を見透すこともできないので、普通の建物と変らないことが認められるから、右不服の理由は要するに感覚的な苦痛から訴えられたものではなく想像上の心理的なものに基くものであるし、さらに有田証言(第六回)によると、原告は以前病舎の北側の空地で運動をさせられていたのであるが、職員の制止にもかゝわらず、右運動場に面した監房の収容者と交談するので、これを避けるために、他に適当な場所もないところから、右死刑執行場前の空地で運動するように命じたものであることが認められる。そうだとすれば、右処分はこれを違法ということはできない。。

(八)  死刑執行の予告拒否処分(請求趣旨三七(一)(二))について

原告の主張するとおり死刑執行の二四時間前に執行を予告することを拒否したことは当事者間に争いがない。

死刑執行を予告なしにすることは、事柄の性質上不可能であり従つて執行前予告しなければならないことになるが、その予告を、法務大臣の死刑執行命令を受けたとき以後執行の当日直前までのいつにするかは、死刑囚を、個別的に観察し、本人の修養の程度、心理状況、信仰状態その他あらゆる角度からみて最も適当な機会を選んでする被告の裁量行為に属するから、右処分を違法ということはできない。

第六義務確認請求について

公法上の権利関係に関する訴訟として、行政権の発動に関係のある法律関係の確認を目的とする、いわゆる公法上の義務確認訴訟が認められるべきかどうかについては議論のわかれるところであるが、行政庁がある行政行為をなすべきこと、またなすべきでないことが、法律上き束されているときに、裁判所が法律を適用して行政庁の右の義務のあることの判断を示すことは、後述の行政庁に対し作為または不作為を命ずるものと異なり、裁判作用の論理的性格からいつて可能なものといわねばならず、(イ)具体的な行政処分がなされない以前においても公法上の権利関係の存否について裁判によつて確定するに適する法律的紛争(いわゆる権利保護の資格)が存在し、(ロ)その紛争が裁判によつて解決するに足る程度に現存する、いわゆる争いの成熟(権利保護の必要ないし利益)が存する限り、裁判所は右争いのある権利関係の存否を確定し、当事者間の紛争を解決して司法救済を与えるべき職責を有するものと解する。

そしてこのように裁判所に司法救済を与える職責があると解する以上、裁判所のなす公権的判断によつて関係行政庁が拘束を受け、行政処分の行われる以前に行政庁を拘束するような結果を生ずるとしても、かかる拘束は、関係行政庁として、行政権が法のもとにあり、法の執行として法の拘束の枠外に出ることを許されないのと同様に、当然受忍しなければならない拘束にほかならず、憲法の採用する三権分立の建前に決して反するものではない。なんとなれば、一般に、行政権の行使が法に拘束され、そのわく内でなされなければならない場合においても、行政権は自らその適法性や法の要求するところを判断したうえで、これを実現するのであるし、一方、裁判は、一般の場合には、法適用の保障的機能を果せば足りるから、事後審査が建前上妥当し、従つて、裁判所にその事前の段階において、第一次的判断を要求する訴は、権利保護の資格を否定されるのを是認しなければならない。しかし、それ等を絶対的に貫き例外を許さないとするのは偏狭であり明らかに正義に反する。裁判所の事後審査が明らかに無意義にして不合理と認められ、しかも事前審査のみがよく救済に適合するような場合(たとえば通信の自由と秘密その他の基本的人権への侵害があり、現に行われつつある場合に、事後審査たる取消訴訟や無効確認訴訟はその利益が否定され不適法として却下されざるを得ないことはすでに第四の(二)において述べたとおりであるし、しかも、事前審査のほかは適切な救済が考えられない)に、なおかつ事前の出訴を許さないとすることが、どうしてできようか、司法万能の考えはもとより排すべく、司法は、適正な行政の運営を期待して謙虚たるべきで、同法万能の弊は決して小さしとしない。しかし行政独善の弊はそれにも増して排すべく、その弊の赴くところ、自由と権利は画に描いたもちと化するに近い。少なくとも義務確認訴訟は一定の場合に認めなければならない所以である。

なお、この問題は、三権分立制度が一層強力に確立されている諸国においても、宣言的判決の問題として論ぜられたが、争いの成熟の条件による制約のあることが理解されるに及んで、これを非司法的機能として排斥し、ひいてこれを違憲とするような誤解はすでに解消している。争いの成熟は(イ)現実の権利の侵害がある場合(ロ)現実の権利侵害はないが、その危険がさし迫つている場合、(ハ)権利侵害の危険がさし迫つているとはいえないが、原告が当面している問題に対する裁判所の判決が価値をもつような事態の発生の合理的蓋然性が存すると認められる場合には、宣言的判決が認容される。これ確認の利益の問題とみるべく、わが公法上の義務確認訴訟においても、少なくとも、右の(イ)と(ロ)の場合は適法といい得るであろう。

そこで、本訴について、個々的に、公法上の義務確認訴訟の適法要件として右の権利保護の資格と権利保護の利益の有無や請求の当否を判断する。

(一)  請求趣旨一(三)について。

被告は、前記の第五の(一)で述べた範囲においてのみ法上容認されている検閲の事後措置として、通信の発受禁止処分ないしそれと同じ効果をもつような処分をすることはできるが、その他の場合にはかような処分をすることはできないものであるところ、被告が原告に対し、過去において右許されるべきでない通信の返戻ないし差止めを行つた事例は証拠上これを認めることができるが、原告本人の供述(第一回)および弁論の全趣旨によると、現在においては、被告は原告の発信を、返戻したり差し止めたり等していないこと、すなわち権利侵害のないことが認められるので、現在被告に対して通信の発送義務の確認を求めるのは、訴の利益を欠くものといわなければならない。

(二)  請求趣旨二(三)について。

請求趣旨は明確を欠くが、その全趣旨や請求の原因から判断すると、「被告は、原告の発する通信文の内容が(1)罪証隠滅に関する場合(2)逃走に関する場合(3)刑法に低触する場合のほかは、これに抹消(通信の全部又は一部)を加えてはならぬ義務があることを確認する。」というにあるものと解される。被告は、前記第五の(一)で述べた範囲においてのみ、すなわち、原告の発する通信は「受信人に伝達されることによつて、大阪拘置所における拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合」には検閲の事後措置として、当該部分を抹消することができるが、そうでない場合には、抹消をすることはできないものであるところ、弁論の全趣旨によれば、被告は原告に対し、従来から、信書の内容が施設の管理運営上適当としないものという広汎な範囲において発信者の意見いかんにかかわらず、抹消することができるとの見解と方針を堅持して、その方針どおり実施していることを認めることができる。すなわち(イ)昭和三〇年七月一九日付崔南植宛通信の抹消部分は、その通信の結びの一行「暑いから体に気をつけて頑張りなさい。敬具」を除いた全文「前略、別便で(行)第七九号事件の請求の趣旨および被告の答弁書の写と申立書を送りました。請求の趣旨の一から三〇までのうちで、崔さんの証言できるものがありましたら、葉書で請求の趣旨の番号を僕に知らせて下さい。そうすれば崔さんをこの事件の証人に申請したいのです。七月三〇日が第五回目の準備手続期日で、その日に僕は証拠を申請しなければなりません。同封の書類と崔さんの葉書が七月二八日までに僕の手許に届くように送つて下さい。同封の申立書は七月三〇日までに裁判所に出すものですから手違いのないように頼みます。切手八円同封しておきましたから開封で返送して下さい。面倒なら申立書でない方の請求の趣旨の番号に鉛筆で○印をつけてくれてもよい」であり、同日付盧承達宛通信および同日付閔載寔宛通信も同様な抹消がなされていること、(ロ)同年八月二四日付楊柱錫宛通信の抹消部分は、原告の発受する通信が、被告により、抹消されたり隠匿されたり等していることを伝えて、宛名人も原告の提起している行政訴訟の準備に、協力してくれるように依頼している部分と、「反動どもは僕を称して国家権力に反抗する不逞分子扱いしている」と述べている部分であり、(ハ)同年一二月二三日付閔載寔宛通信の抹消部分は、「君が若し何らかの意味で拘置所に妥協することは自ら通信の権利を放棄するものであることを認識しなければならない」、「君は獄中斗争の再検討を云々しているが、僕のような法律的斗争を広く深く且つ執拗におし進める必要があるのではないか」等と前置きし、原告が大阪拘置所の処遇に関し被告に宛てた通知、面接願、覚書等と題する抗議文の写を所載している部分であり、(ニ)昭和三一年二月二〇日付黒岩利夫宛通信の抹消部品は、同通信の内容となつている本件行政訴訟に提出された同月一日付および同月一三日付各準備書面の写中、原告の拘禁されている舎房の見取図、拘置所の管理および在監者の処遇に関し、事実に歪曲を加えて非難しているとみられる部分であり、(ホ)同年二月一〇日付加古藤一郎宛通知の抹消部分は、その通信に同封されていた本件行政訴訟に提出の原告の同月七日付準備書面の写中の、大阪拘置所職員の感覚を侮蔑している部分と、同拘置所の筆記用紙の使用および新聞、雑誌の閲読に関する管理を誹謗している部分である。(ヘ)昭和三二年一一月一九日崔南植宛通信の抹消部分は、本件行政事件における証人有田繁雄の証言中、崔の大阪拘置所在監中の行状処遇等に触れた部分を抜萃し、その真偽等について意見を求めている部分である。

右例示した抹消部分は、いずれも前述した抹消の許される場合に該当するとは、認められない。

そうすると、右請求は、前記極めて限定された場合を除き、その他の場合に関しては、理由があるものとして認容すべく、右限定された場合に関しては、失当として棄却を免れない(原告が自ら付した請求の限定の当否は、当裁判所の干渉し得ないところであるから、そのまま導入するほかはない。当裁判所の判断による限定と原告の自ら付した限定とが重複する部分があるが、その範囲において原告の付した限定に立ち入つたものではない)。

(三)  請求趣旨三(三)について。

請求趣旨は明確を欠くが、その全趣旨や請求の原因から判断すると「被告は、原告の受ける通信文の内容が(1)罪証隠滅に関する場合、(2)逃走に関する場合、(3)刑法に抵触する場合のほかは、これに抹消(通信の全部又は一部)を加えてはならぬ義務があることを確認する。」というにあるものと解される。被告は前記第五の(一)で述べた範囲(同前)においてのみ、検閲の事後措置として、当該部分を抹消することができるが、そうでない場合は抹消することはできないものであるところ、弁論の全趣旨によれば、被告の見解方針および実施は前記(二)と同じである。すなわち昭和三〇年二月一〇日付崔南植からの通信、同日付盧承達からの通信、同年五月八日付松上宜史からの通信、同月一六日付盧承達からの通信、同月三一日付揚柱錫からの通信、同年七月二九日付閔載寔からの通信、同年八月八日付盧承達からの通信、同月一二日付揚柱錫からの通信の各抹消部分は、原告から右各通信の発信人に宛てに通信が大阪拘置所により抹消されていることを知らせる部分や、原告の大阪拘置所に対する斗争意欲を昂じさせる虞があると被告が考えた部分であることがうかゞえる。

そうすると、右請求は、前記極めて限定された場合を除き、その他の場合に関しては、理由があるものとして認容すべく、右限定された場合に関しては、失当として棄却を免れない(原告の付した限定と当裁判所の判断した限定との関係については前記(二)と同じ)。

(四)  請求趣旨四(三)について。

原告の主張するとおり、従来原告の発受に係る通信の検閲発送、交付に一ケ月ないし三ケ月余を要した事例が若干あることは当事者間に争いがないが、有田証言(第六回)によると、いずれもそれ相当の理由があつたからであり、原告の公法上の権利関係について紛争があることが認められないから、権利保護の資格を欠く不適法な訴といわねばならない。

(五)  請求趣旨五(三)について。

信書の秘密を守るべきことは憲法の至上命令であり、被告においても信書の秘密を保持すべき義務を負つているのであるが(憲法第二一条第二項)、前述のとおり容認されている信書の検閲に際して、行政庁たる告が検閲の事後措置について困難な問題に当面したとき、これを慎重に取り扱うために検察官あるいは上級監督官庁に法律的意見や決裁を求めるのは、行政機構内の処理として当然の手続であり、そのために信書の内容を伝えることは許されていることである。すると原告の主張するとおり被告が原告の発した信書を検察官あるいは上級官庁に示したことは当事者間に争いがないとしても、右被告の行為は信書の秘密を侵す違法なものとはいえず、結局本件争点は裁判所による法的評価の受けられる面について紛争があるとはいえないものであるから、本訴は権利保護の資格を欠く。

(六)  請求趣旨七(三)について。

原告に対する強盗致死被告事件は前述のとおり昭和三〇年一二月死刑の判決が確定しているので、もはや原告にとつて弁護人との刑事訴訟法上の法律関係は消滅に帰している。そうすると被告に対し原告の弁護人に対する交通を保障しなければならないことの義務確認を求める訴は、権利保護の資格を欠く。

また原告は、被告に対して原告の弁護士に対する交通を保障しなければならないことの義務確認を求めているが、弁護士でも弁護人(弁護人にならうとする者を含む)でない限りは、その者と特別に自由な接見や交通(刑事訴訟法第三九条)をなしうる権利を有せず、その接見や交通は一般規定の拘束を受けるものであるから、一般に弁護士との間に特別の法律関係の存在の確認を求めるこの訴は、権利保護の資格を欠く不適法なものといわねばならない。

(七)  請求趣旨八(三)について。

原告の公法上の権利関係について紛争のあることが認められないから、権利保護の資格を欠き不適法である。

(八)  請求趣旨九(三)について。

前記第五の(二)(イ)で述べたとおり筆記用紙類は、戒護に支障を生じない範囲で、かつ、収容者に著しい不便を来たさない限度でその使用が制限されるべきであつて、証拠によれば、被告はその範囲と限度において右制限を行つていることが認められる。被告には原告の主張するような範囲でのその無制限使用を保障すべき義務はないから、この請求は失当というべきである。

(九)  請求趣旨に一一(三)ついて。

前記第五の(四)で述べたとおり、被告は、管理上収容者が監房内で所持できる書籍の数を制限することは許されているところである。被告が原告に対し監房内における書籍の所持を制限したことは争いがないとしても、被告が原告に対し訴訟もしくは学習に必要なすべての書籍の所持を保障しなければならない義務があるとは認められないから、この請求も失当であるといわねばならない。

(一〇)  請求趣旨一二(三)について。

請求趣旨は明確を欠くが、その全趣旨や請求の原因から判断すると「被告は原告に対し、新聞、文書および図画が、(1)罪証隠滅に関する場合、(2)逃走に関する場合、(3)刑法に抵触する場合のほかは、抹消もしくは削除等の制限を加えることなく、その閲読を許可しなければならぬ義務があることを確認する。」というにあるものと解される。

被告は、前記第五の(三)で述べた範囲においてのみ、すなわち、新聞、文書および図画は「在監者が閲読することによつて大阪拘置所における拘禁および戒護に、明白かつ現在の危害を生ずることが必至に予見される場合」には抹消、削除その他の閲読制限をすることができるが、そうでない場合には閲読を許可しなければならないものであるところ、弁論の全趣旨によれば、被告は原告に対し、従来から相当広範囲に新聞、文書および図画の抹消、削除、禁止等の閲読制限を行つており、それが前記の被告に許された閲読制限に該当すると認められるものは一、二を数えるにすぎず、管理上不適当有害と認められる新聞、文書、図画はすべて閲読制限ができるとの見解と方針のもとに、現在においても、その方針どおり実施していることを認めることができる。すなわち(一)朝日新聞の抹消された記事は、「有田氏と秘書を釈放」(昭和二九年三月八日付)、「疑獄深刻、政府窮地に陥る」(同年四月一七日付)、「法相指揮権発動」(同月二一日付)、天声人語(同月一八日付)、「松川事件第二審判決要旨全文」(昭和二八年一二月二七日付)等であり、(二)「週刊新潮」(昭和三二年一一月一八日号)の抹消部分は、「恋の邪魔者は殺せ」と題した記事および「新手痴漢に御用心」と題した強姦致傷事件の記事であり、(三)「世界」(昭和三〇年九月号)の抹消部分は、戒能通孝「裁判は一方的な賭ではない」という題の論説中、無実の罪で死刑の判決をうけた者には、殺人脱獄等の非合法手段も正当化されると論じている冒頭の二一行にわたる部分であり、(この論旨は、裁判官に対して、裁判の重大さと巖粛さを知らせ刑事被告人が、生命、自由、名誉を賭けていると同様に、生命、自由、名誉を賭けて裁判するように説き、そして裁判は批判に耐えてこそ国民の信頼を得られるものであるとして、結局松川事件に対する国民の裁判批判を支持するために書かれたものであると認められ、右非合法手段を慫慂するために書かれたものではない。)(四)「朝鮮」(一九五七年三月号)の削除部分は、「三、一峰起」と題し、大正八年三月一日京城を中心として発生した排日運動の騒擾事件に関する記事と写真のうち、(3・1運動に参加した愛国者を日帝の官憲はこのように殺した」という説明を付した右事件関係者の銃殺刑執行の状況を示す写真一葉と、「3・1運動に参加した愛国者たちの血でそめられた衣服と刀」という説明を付した右事件関係者の血染めの遺品を示す写真一葉であり、(五)平野竜一著「死刑」の抹消部分は、「五、わが国における死刑」と題し、わが国において死刑の判決のあつた被告事件の具体的実例等を叙述している部分であるし、最近では昭和三二年二月二五日付朝日新聞夕刊の、「精薄者の犯行」と題する「今日の問題」欄、同年四月二五日付毎日新聞の、いわゆる菅生事件を論じた「余録」欄、および「菅生事件をウヤムヤに葬るな」と題する投書欄、同年六月五日付毎日新聞の、日本共産党潜行九幹部の逮捕問題を論じた「余録」欄、同月九日付朝日新聞の、「泥棒に入られて」と題する投書欄、同月一五日付毎日新聞の、いわゆる全購連汚職事件を論じた「余録」欄、同年一一月一一日付朝日新聞夕刊の、「防犯週間」と題する「今日の問題」欄(以上いずれも犯罪に関する時事の論説記事)、同年四月一日付毎日新聞第三面の、「週刊新潮」の広告欄中、「虐待の横行する刑務所」なる標題、同年六月六日付毎日新聞夕刊第一面の、映画「素直な悪女」の広告、同年五月一一日付朝日新聞夕刊の、「民主警察の品位」と題する「今日の問題」欄(人妻と情を通じた警察官に対する懲戒免の処分を相当とする最高裁判所の判決についての論説)、同年六月一五日付毎日新聞の、「文芸作品と名誉棄損について」と題する投書欄(今東光の作品を名誉棄損と論難した一主婦の投書に対する今東光の反論)、がいずれも削除されている。

しかし、右例示した抹消削除の部分は、いずれも前述した抹消の許される場合に該当することは認められない。

そうすると、右請求は、権利保護の資格の必要があるものというべく、そうして、前記限定された場合を除き、その他の場合に関しては、本訴請求は理由があるものとして認容すべく、右限定された場合に関しては、失当として棄却を免れない(原告の付した限定と当裁判所の判断とした限定との関係については前記(二)と同じ)。

(一一)  請求趣旨一七(三)について。

ラジオ放送の聴取も他の自由権と同様に、管理上の制限を必要最小限度のものに紋つてできる限り尊重しなければならないが、前述のとおり各監房毎にラジオ受信機を備えつけることは管理上から許されず、被告の手許にあるラジオ受信機から各監房毎にスピーカーをひいて画一的放送番組を聴取させる取扱いをすることは止むを得ないものと考えられる。それ故被告が原告に対しラジオ放送の「ニユース」、「録音ニユース」、「今日の問題」「街頭録音」、「時の動き」、「政治座談会」、「国会討論会」、「青空会議」など聴取させていないことに争いがないとしても、右放送を聴取させる義務を負つているものとは考えられないから、この請求も失当であるといわねばならない。

(一二)  請求趣旨一九(三)について。

信仰の自由は憲法の保障する其本的人権のうちでも最も尊重されなければならないものであり、右信仰の自由とは特定の宗教を信ずる自由または一般に宗教を信じない自由をいうものと考えられる。それに憲法は国およびその機関がいかなる宗教的活動を行うことも厳禁している(憲法第二〇条)。

右厳禁している「宗教的活動一切」の意味については条文解釈上必ずしも明確でないが、右憲法の条文の財政上の裏打ちをしている同法第八九条、更に右両条文の趣旨を受けて立法せられている教育基本法第九条第二項「国および地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他の宗教的活動をしてはならない」、同条第一項「宗教に対する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」、また地方自治法第二一二条「普通地方公共団体の財産または営造物は、宗教上の組織もしくは団体の使用もしくは維持のため………………その利用に供してはならない」を手がかりにして考えて見ると、被告において、収容者から特に個別的な要請(これは全く私人の信仰の発現である)がないのに、特定の宗教による教誨を行つたり、宗教的行使(宗教上の行為である礼拝、祈り、儀式のような宗教的活動)を催して収容者を参加させたり、また更に「特定の宗教によるもの」でなくても、宗教一般の社会生活上の機能を理解させる以上の宗教の信仰に導くための宗教教育を試みたりすることは、右憲法の条文に違反して許されないものと考える。

死刑囚に対し、その不安定な心理状態を静め、刑の執行まで平和な気持で拘禁生活を続けることができるようにするため、被告においていろいろの試みがなされることは刑政上からいつて必要なことであるが、さりとて死刑囚に対しても、現憲法下においては、被告が国家機関として右説明した範囲を超える宗教的活動をすることは許されないであろう。

証拠上被告が原告に対して右許容されている範囲を超えて宗教宗教教育または宗教的活動をしたり、あるいは将来かゝる宗教的活動をする虞があるとは認められないから、本訴は現実の必要性の認められないものというべく、従つて確認の利益を欠く。

(一三)  請求趣旨二二(三)について。

憲法第二五条の定めるものは、一般には具体的な内容をもつ請求権ではなく、直接に個々の国民は、国家に対し具体的現実にかような請求権を有するわけではない。しかし、国家は、私人を拘禁することによつて、前記第五の(五)で述べたとおり、法令の範囲において、法定の糧食その他の生活必需品を給与し、もつて憲法の規定する生存権を、その範囲で保障しなければならないのである。被告はそのことを争つているのではないし、証拠によると、被告は法定の糧食その他を原告に給与していることが認められるから、本訴は、この具体的権利の範囲においても、法令による具体的権利ではなく憲法の抽象的理念とする国の任務の範囲においても、権利保護の資格を欠き、いずれにしても不適法である。

(一四)  請求趣旨二四、二六、三二、三四各(三)について。

被告が原告に対して、他の死刑囚もしくは刑事被告人と同等の待遇をしなければならない義務のあること(法第九条)、訴訟準備もしくは学習を妨害してはならない義務のあること(法第三一条、しかし前述のとおり特別の事情のない限り管理上定められた就寝時間は守らなければならない。)、必要な運動(法第三八条、規則第一〇六条)、入浴(規則第一〇五条)、洗濯(規則第一〇二条)および理髪(法第三六条、受刑者についての規則第一〇三条第一項の準用)をさせなければならない義務のあること、必要な面接の申出を拒否できない義務のあること(規則第九条)については当事者間に見解の相違がなく、いずれも判決によつてかゝる義務確認をしなければならないような法律上の紛争があることは認められない。従つて本訴は権利保護の資格を欠く不適法な訴といわねばならない。

(一五)  請求趣旨二五、二七、三三、三五、三六、三七各(三)について。

被告が原告を拘置所内のどこで運動させるか、監房内における就寝時の身体の位置をどう決めるか、監房検査に原告を立ち合わせるかどうか(一般法秩序における住居等に対する不可侵の保障と同じように法律上の保護を受けているものではなく、またその手続の公正を担保しなければならない要請もないから、本件立会いを求めるのは単なる事実上の利益に基くとしか考えられない。)、職員の氏名を教えるかどうか、死刑執行の予告をするかどうかは、いずれも被告の裁量に委ねられていることで、原告の主張するような法律上の義務を被告は負つていないから、右訴はすべて権利保護の資格を欠く。

また物品の販売行為は、行政権が優越的地位において一方的に公権力の発動としてなす行政行為とは考えられず、また被告がかゝる販売行為をしたとも認められないから、被告が原告に対して右販売行為の不作為義務確認を求めるのは不適法といわねばならない。

第七作為、不作為請求について

裁判所が行政庁に作為又は不作為を命ずることは、行政庁に一定の作為、不作為の義務があるという判断の結果を単に主文に命令形の形式で表示しているというだけのものではない。行政行為をなすことが制度上行政機関の所管とされていることは、その行為をなすこと、またはなさないことの権限が行政権に分配されていることを意味するものである。しかるにその権限行使を、裁判所が命じ得ることを承認することは、憲法の採用する三権分立の制度上当然守られなければならない司法権と行政権との権限の限界を司法権が逸脱し、裁判所が行政機関の所管とされている行政権の行使を自ら行うことを意味し、行政庁の行政作用の発動を不当に侵害するものである。いわゆる司法万能の弊を生じ、責任行政の民主的原理に反することになると考える。従つてかような行政庁に対する行政行為の作為又は不作為を訴求する訴訟は、許されない不適法なものである。

第八結論

監獄改良の問題は、単に日本一国の問題たるにとゞまらず、世界各国の当面の要請事である。一九五五年八月三〇日ジユネーブで開かれた、犯罪予防および犯罪者処遇に関する第一回国連会議においては、遠く一八七一年に創立された国際監獄委員会の積み上げてきた仕事の継承として、被拘禁者処遇最低基準規則が決議されている。この決議は、世界の法律的、社会的、経済的、地理的条件の多様性を承認しながらも、被拘禁者の基本的人権の保障として、この被拘禁者処遇最低基準規則の守られるべきことを各国に要請しているのである。

原告の、いわば絞首台からの叫びとしての本訴は、ジユネーブに通ずるものであつて、当裁判所のとつた争点の解決は、世界に範たる監獄の姿には及ばないまでも、日本の政治的、経済的諸条件の貧しさ、特に監獄施設の不十分さを考慮すれば、示された未決拘禁者処遇の最低基準線にほゞ近いところにあるといつてよいのではあるまいか。原告の本訴を通じての要求には、すでに見たとおり、行き過ぎや無理なものがあつた。殊に拘禁戒護のことに関しての要求には、身勝手さがあつた。それはともかくとして、原告が拘禁という不自由と不如意の立場において、しかも独力で、本訴をこゝまで押し進めてきた、その努力と熱意には並々ならぬものがあることを認めるにやぶさかではない。

一方、本訴において忘らるべきでないことの一つに担当職員のことがある。監獄という隔絶した世界を勤務場所として、接触するのは犯罪者およびその容疑者ばかりという特殊な環境の中で、地味で困難な仕事を、しかもそれに比例して酬われることの少ないにもかゝわらず、日夜黙々として続けている職員が、全く良くやつているというこのことである。本訴の争点となつた原告の処遇についての担当職員の実際的措置の大部分は、適法であつて、司法的審査に良く耐えるものであつたことはすでに見たとおりである。若干の点において、なお寛容と親切がもつとあつて欲しかつたほかは、原告の要求を適度に叶えているし、善意と職務の忠実性の疑われるものではない。一部の点すなわち通信と文書図画の閲読制限において、誤りがあつたが、それはこの分野における保守性と意識の古さがそうさせたのであり、この判断では、その点の取扱いは改めてもらわねばならぬことになるが、これ新しい時代の流れと動きがそうさせるのである。

高く厚いコンクリートの周壁は、その内と外との社会を隔絶する。周壁の外における正常な生活と、周壁の内における管理生活との間における落差は認めなければならないが、それは最小化されなければならない。内の社会の者は外の社会の一員としてつゞいていること、そこから来てそこへ帰つて行くものであることを思えば、落差は、微小でなければならぬ。これが本件の判断の出発点であり、同時に結論をなすものである。

以上の理由によつて、

本件のうち、被告が、原告の発した昭和三〇年一月一〇日付国際新聞家通信の発信を止めた処分(請求趣旨一(一)のうち)、原告に対し昭和三〇年一月一三日国際新聞および昭和三二年一〇月一一日朝日新聞の購読を禁止した処分(請求趣旨一三(一))の無効確認を求める部分原告の発受する通信に対して抹消を加えてはならぬ義務あることの確認を求める請求の一部(請求趣旨二、三の各(三)の一部)および新聞、文書、図書に抹消もしくは削除の制限を加えてはならね義務あることの確認を求める請求の一部(請求趣旨一二(三)の一部)は理由があるから、正当として認容するが、請求趣旨一(右認容した部分を除く)ないし八各(一)(二)の被告の処分、請求趣旨一二(一)(二)のうち被告が原告に対し「朝日新聞」(昭和二八年一〇月一三日付から昭和二九年四月三〇日付まで、および昭和三二年一二月一日付から同月一〇日付まで)、「週刊朝日」(昭和三〇年一月三〇日号)、「サンデー毎日」(昭和三三年一月五日号)、「週刊サンケイ」(昭和三〇年五月一日号)、「週刊新潮」(昭和三二年一一月一八日号)、「中央公論」(昭和三〇年一月号)、「世界」(昭和三〇年九月号)、「平和」(昭和二九年三月号)、「新しい世界」(昭和二八年一月号)、「朝鮮」(人民朝鮮社外国文出版社版、一九五七年三月号)および「死刑」(平野竜一著、日本評論社版)を抹消もしくは削除した処分、請求趣旨一四、一八ないし二〇、二三、二六、三二、三四、三六各(一)(二)の被告の処分については無効確認および取消を求める部分、ならびに請求趣旨一、四、五、七、八、一九、二二、二四ないし二七、三二ないし三七の各(三)の被告に対し義務確認を求める部分は、訴訟要件を欠く不適法なものというべく、また被告に対し作為または不作為を求める部分は、制度上裁判所に許されていないことを訴求する不適法なものであるから、いずれも訴を却下する。

本訴のうち、請求趣旨九、一〇、一一の各(一)(二)、請求趣旨一二(一)(二)のうち被告が原告に対し昭和三〇年二月一九日「絞首台からの叫び」(秋山正夫著、正旗社版)および昭和三二年八月二一日「死と壁」(玉井策郎著、創元社版)の閲読を禁止した処分、請求趣旨一五ないし一七、二一および二二、二四、二五、二七ないし三〇、三一、三三、三五、三七の各(一)(二)の被告の処分について、無効確認および取消を求める部分ならびに請求趣旨九、一一、一七各(三)の被告に対し義務確認を求める部分ならびに請求趣旨二(三)、三(三)、一二(三)の各義務確認を求める部分のうち請求趣旨二(三)、三(三)、一二(三)の各義務確認を求める部分のうち右認容した部分を除いたその余の部分は、いずれも理由がないから、請求を棄却する。

従つて訴訟費用については民事訴訟法第九二条本文を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 松田延雄 山田二郎)

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